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展示案内


尾張藩邸物語染付西洋風景図花生・台

平成30年9月9日(日曜日)から10月28日(日曜日)

秋季特別展
尾張藩邸物語

会場
蓬左文庫展示室
尾張徳川家は、大小併せて40箇所を越える江戸藩邸の他、国許の名古屋城内や城下・領内に多数の屋敷を構えました。大切に伝えられた諸屋敷の図面や、屋敷内で使用された道具を通して、失われた尾張藩邸の姿や、屋敷内での生活を探ります。

展示の詳細案内

江戸時代、大名家は江戸と国元とで複数の屋敷を持つことが多く、特に、御三家筆頭であった尾張徳川家では、江戸の屋敷は市谷上屋敷・麹町中屋敷・戸山下屋敷を中心に屋敷数・坪数ともに諸大名の中でも最大規模を誇り、国許である名古屋にも名古屋城二之丸御殿と新御殿をはじめ、御下屋敷や大曽根屋敷など多くの屋敷を有していました。これら大名屋敷は、藩主やその家族、家臣や奉公人たちが居住空間としての機能をはじめとして、政務や休息・饗応など、機能や用途に応じて様々に使い分けられていました。現在、徳川美術館が収蔵する尾張徳川家伝来の品々は、それぞれの屋敷で使用・保管されていた道具です。
本展では、徳川美術館、名古屋市蓬左文庫、の収蔵品の内、屋敷を描いた絵図や屋敷で用いられた茶道具や調度品の数々を紹介し、尾張藩邸の姿や藩邸内での生活を探索します。

市買御屋敷惣指図(いちがやおやしきそうさしず)

市買御屋敷惣指図

最古の市ヶ谷上屋敷図面です。東を御殿空間、西を庭園空間とし、周囲は家臣居住地の御長屋が取り囲む。御殿南側が政庁・二代光友(みつとも・1625から1700)の御殿で、北に正室千代姫(ちよひめ)の御守殿(ごしゅでん)、御守殿南東部に三男の義昌(よしまさ)御殿、政庁東側に二男の義行(よしゆき)御殿が建てられていました。この御殿群は天和3年(1683)の大火で悉く焼失しました。本図は色紙を添付して空間を表す貼絵図(はりえず)の手法で製作されています。この手法は18世紀初頭を境に用いられなくなり、以後は直接台紙に描く書絵図(かきえず)が主流となります。

江戸時代 寛文10年(1670) 徳川林政史研究所蔵

染付西洋風景図花生・台(そめつけせいようふうけいずはないけ・だい)

染付西洋風景図花生・台

東西折衷様式の器形は輸入品ではなく、京焼風のいわゆる「藍絵(あいえ)阿蘭陀写(おらんだうつし)」と考えられます。箱に「天保三年三月 御立寄御用御買上」と墨書があり、天保3年(1832)3月23日に市ヶ谷上屋敷へ11代将軍家斉(いえなり)を迎えるために購入された花生と分かります。ただし、飾り道具記録には、本品の記述はないため、備え付け品として配置された花生の可能性があります。

江戸時代 19世紀 徳川美術館蔵

八幡大菩薩像(市ケ谷上屋敷内八幡宮御神体)(はちまんだいぼさつぞう(いちがやかみやしきないはちまんぐうごしんたい))

八幡大菩薩像(市ケ谷上屋敷内八幡宮御神体)

市ヶ谷上御屋敷庭園の中にあった八幡宮の御神体です。八幡神は武人の神であり、源氏である尾張家でも氏神(うじがみ)として信仰していたので、屋敷内に祀(まつ)られたと考えられます。初代義直(よしなお)の書いた「八幡大菩薩託宣」や江戸時代の模本も共に伝えられており、尾張家の守護神として古来大切にされてきました。本来は厨子(ずし)に納められていたらしく、神体を隠す裂が附属しています。

重要美術品 鎌倉時代 14世紀 徳川美術館蔵 展示期間:9月9日から10月8日

市ヶ谷邸庭園「瀬芳」「舞鶴原」図 長谷川雪堤筆(いちがやていていえん「せほう」「まいつるはら」ず)

市ヶ谷邸庭園「瀬芳」「舞鶴原」図 長谷川雪堤筆

市ヶ谷上屋敷庭園内西部にあった茶席「瀬芳」と、その前面に広がる「舞鶴原」、左手後方には台地縁に設けられた茶席「西南台」が描かれています。これまで箱の墨書より戸山下屋敷の庭園図とされてきたが、建物配置や空間構成から上屋敷庭園図と判断しました。作者の長谷川雪堤(せってい・1813から82)は、『江戸名所図会』の挿絵で知られる長谷川雪旦(せったん)の子で、名所絵を得意とし、写実的な風景画にも優れていました。『御本丸御普請御用別記』の記録より、尾張家の同朋格(どうぼうかく)として遇されていたことが判明しました。

徳川家寄贈 江戸時代 19世紀 徳川美術館蔵 展示期間:10月10日から10月28日

尾張徳川家市ヶ谷邸写真(複製) フェリーチェ・ベアト撮影(おわりとくがわけいちがやていしゃしん(ふくせい))

尾張徳川家市ヶ谷邸写真(複製) フェリーチェ・ベアト撮影

江戸城市ヶ谷門西側付近から江戸城外堀越しに市ヶ谷上屋敷を撮影した写真です。堀端から分岐する道添いに二階建て海鼠壁(なまこかべ)の御長屋(おながや)が建ち並び、左手の崖上に表御門と崖上の御長屋、背後に御殿の大屋根や火の見櫓が写っています。市ヶ谷台地上に壮麗な建物が建ち並ぶ様は、安価な土産絵である泥絵(どろえ)にも描かれており、江戸庶民にとって著名な景観でした。また、横浜開港後、横浜で販売された写真アルバムにも掲載されるなど、市ヶ谷上屋敷は江戸の名所に準ずる景観として親しまれていました。

(原本:江戸時代 19世紀) 徳川林政史研究所蔵

青磁香炉 銘 白菊・堆朱布袋図香合香盆飾り(せいじこうろ めい しらぎく・ついしゅほていずこうごうこうぼんかざり)

青磁香炉 銘 白菊・堆朱布袋図香合香盆飾り

五代将軍綱吉による元禄11年(1698)の麴町中屋敷御成(おなり)の際、表書院の床脇違棚に飾られた香盆飾りです。作品番号22「御成御殿御床御棚御錺之図」等の諸記録により、「青磁香炉 銘 白菊」「居布袋図堆朱香合」が火道具と共に、堆朱の長盆に載せて飾られたことが判明しました。この飾りを似寄(によ)りの堆朱盆と火道具を用いて再現しました。

香炉:南宋時代 13世紀 香合:明時代 15世紀 徳川美術館蔵

御深井焼三島写俵形茶碗 銘 万石(おふけやきみしまうつしたわらがたちゃわんめいまんごく)

御深井焼三島写俵形茶碗 銘 万石

二代光友(みつとも)が愛用した三島俵形茶碗を、十二代斉荘(なりたか・1810から45)の時代に御深井窯(おふけがま)で写した作品で、高台脇に「深井製」の丸印があり、箱蓋裏には「よろづ代に みつぎたえせぬ 君が世を あふぐもかしこ 深き恵を」の一首が書き付けています。御深井焼は下御深井御庭で焼成された御庭焼(おにわやき)で、開窯期は古く、寛永年間(1624から44)と推定されます。一時衰退しますが、寛政12年(1800)に十代斉朝(なりとも)が復興したとされ、斉荘以降には、伝来名物道具の写しを多彩に焼成するようになりました。

江戸時代 19世紀 徳川美術館蔵

水野新御殿之図(みずのしんごてんのず)

水野新御殿之図

初代義直(よしなお)が、瀬戸・水野山に鹿狩りを行う際の滞在用御殿で、現・瀬戸市水北町を流れる水野川北側に存在しました。寛永18年(1641)に、平安時代より山田荘(やまだのしょう)(瀬戸市・守山区付近)に勢力を誇った水野氏の末裔の館を利用して御殿が設けられましたが、享保8年(1723)に一帯の御用林を管理する御林奉行所となり、以降は水野氏が御林奉行として屋敷地を管理しました。東西56間(約10メートル)・南北60間(約108メートル)の規模を誇ったとされます。

江戸時代 18世紀 名古屋市蓬左文庫蔵

横須賀御殿図(よこすかごてんず)

横須賀御殿図

広大な面積を誇った横須賀御殿の全図です。海岸部を取り込み、南側の御殿西側には海に防波堤状の堤を築いて「枡形」と称し、当主専用の浜辺としていたことが判ります。この枡形内で、当主は海水に浸かる「潮湯治(しおとうじ)」や、時には海水浴を愉しんだと考えられます。現在、北側に描かれた御洲浜(おすはま)庭園の一部と「御州浜」「呉天石(ごてんせき)」「葭山(よしやま)」「御亭(おちん)」「枡形(ますがた)」等、御殿に因んだ地名が残っています。

徳川林政史研究所蔵


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