古今雛
2024年2月3日(土曜日)から4月3日(日曜日)
企画展
「ひなを楽しむ―旧家のひな飾り―」
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 江戸時代から昭和に至るまでの旧家で飾られた様々なお雛さまを紹介します。大名家・尾張徳川家伝来の雛とは趣の異なる、素朴な中に親しみを感じさせてくれる旧家の桃の節供をお楽しみください。
展示の詳細案内
江戸時代以降の町なかを飾ったお雛さまは、尾張徳川家に伝えられた、大名家ならではの豪華で格式のある雛とは趣(おもむき)が異なり、素朴で身近な親しみやすさが感じられます。近年、徳川美術館に寄贈された、江戸時代から昭和に至る様々なお雛さまを紹介します。
次郎左衛門雛
(じろうざえもんびな)
京都の人形師・雛屋次郎左衛門が製作したといわれるこの雛は、物語絵に出てくる貴族のような丸い顔に、小さな口と細い目元(引き目)、小さな鼻(鉤鼻)が特徴で、江戸時代中期頃に登場したとみられています。古雅な面差しはとりわけ大名家や公家の間で愛されたようで、公家・大名家や門跡尼寺(皇族・貴族の子女が入寺する寺院)に伝わる作品も知られています。
江戸から明治時代
個人蔵
享保雛
(きょうほうびな)
江戸時代の中頃、享保年間(1716から36)頃に登場した旧家のお雛さまです。頭には髪が植えられ、装束には金襴や錦などが使用されました。男雛は束帯(そくたい)風、女雛は天冠(てんがん)を戴き、いわゆる十二単(じゅうにひとえ)を模した装いがとられています。この形式のお雛さまは、明治時代まで製作されていました。
江戸時代
古今雛
(こきんびな)
古今雛は明和年間(1764から72)頃に、江戸十軒店(現在の日本橋室町あたり)の人形師・原舟月(はらしゅうげつ)が作り始めたといわれているお雛さまで、男雛は束帯風に、女雛はいわゆる十二単になぞらえた公家の装束を着用しています。
古今雛は当時としては高価な雛人形でしたが、好評を博し、江戸のみならず京都・大坂にまで流行しました。古今雛形式のお雛さまは明治時代以降、現在にまで受け継がれています。
江戸時代
御殿雛飾り 志村家寄贈
(ごてんびなかざり)
京都で造り酒屋を営んでこられた志村家より、平成24年(2012)にご寄贈いただいた御殿雛飾りです。御殿雛飾りは、京都御所の紫宸殿をモチーフに作られた御殿をともなう雛人形で、江戸時代末期に京都・大坂で流行し、明治時代以降も関西圏で人気がありました。御殿は畳一畳からはみ出すほど大きく、寝殿に脇御殿が附属し、上段奥にはやまと絵の障子がはめ込まれ、上蔀(うえしとみ)が付けられるなど細部までこだわった本格的な作りです。明治時代の京都の旧家を代表する御殿雛です。
明治時代
御殿雛飾り 小見山家・柴田家寄贈
(ごてんびなかざり)
京都の旧家より寄贈を受けた雛飾りです。男雛・女雛・三人官女・御殿などは明治40年(1907)、五人囃子・灯台などは昭和3年(1928)、それぞれ母と娘の初節供にあつらえられました。
明治から昭和時代
板雛・紙雛
(いたびな・かみびな)
古くより身近な材料と伝統的な技法で作られ、日本各地で庶民に親しまれてきた玩具は、広く郷土玩具と呼ばれています。徳川美術館の創設者である尾張徳川家19代当主義親(1886から1976)は、郷土玩具の収集家としても知られ、その収集数は約1000点にも及んでいます。このコレクションには、土や紙はもちろん、銀杏・ヒシなど多様な材料で作られた各種の雛人形があります。
大正から昭和時代
個人蔵
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