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展示案内


東照大権現像 (部分) 伝狩野探幽筆 東照大権現像 (部分)
伝狩野探幽筆

2021年7月17日(土曜日)から9月12日(日曜日)

夏季特別展
家康から義直へ

会場
蓬左文庫展示室 徳川美術館本館展示室
天下統一を果たした徳川家康と、泰平の世に尾張国統治を任された家康の息子義直。義直へと受け継がれた治世方針に焦点をあてながら、二人の生涯、そして義直の家康への想いを、遺品や史料などから読み解きます。

展示の詳細案内

 戦国の世を生き抜き、天下統一を果たした家康。そして家康の九男として誕生し、泰平の世に尾張国の統治を任された義直。二人は親子でありながらも対照的な時代を生きました。家康から莫大な財産と蔵書を受け継いだ義直は、尾張藩の基礎を固め、名古屋を繁栄に導きました。
 本展覧会では、家康から義直へと受け継がれた治世方針に焦点をあてながら、二人の生涯や治世、そして義直の家康への想いを、遺品や史料などを読み解きながらたどります。

長久手合戦図屏風(ながくてかっせんずびょうぶ)

長久手合戦図屏風

 天正12年(1584)4月9日に長久手(愛知県長久手市)で行われた徳川軍と森・池田軍(秀吉方)の合戦を描いています。画面中央上部には、山陰から現れた家康の金扇(きんせん)の馬標(うまじるし)、左寄りの場所では鉄炮で眉間を撃ち抜かれる森長可(もりながよし)、下部には討ち取られる池田恒興(つねおき)・元助(もとすけ)父子の姿がみられます。井伊直政(いいなおまさ)が具足を赤色に統一した「赤備え」として初めて臨み、大いに武功を挙げている様子も描かれています。

江戸時代 19世紀
展示期間:2021年7月17日から8月15日

徳川家康自筆書状 おかめ・あちゃ宛
(とくがわいえやすじひつしょじょう おかめ・あちゃあて)

徳川家康自筆書状 おかめ・あちゃ宛

 家康が鷹狩に出ている間に、重病(疱瘡(ほうそう))にかかった義直を見舞うために家康が自筆で書いた手紙です。「義直の病状がますます快方に向かったとの由、めでたくも嬉しくも思います。疱瘡ではあっても軽症であると聞いて、安心もし、めでたくも思い、嬉しく思っている」といった内容です。
 「あちゃ」(阿茶の局)は、飯田氏の娘で、駿河の今川氏の家臣神尾氏に嫁ぎ、離別後に家康に見出されて側室となりました。相応院と共に家康の深い寵愛を受け、家康歿後も長く権勢をふるいました。

江戸時代 慶長16年(1611)

豊国祭礼図屏風(ほうこくさいれいずびょうぶ)

豊国祭礼図屏風

 豊国祭礼は、豊臣秀吉七回忌を記念し、慶長9年(1604)8月に豊国神社(京都市東山区)で行われた祭礼です。祭礼は、家康の指示に基づいて板倉勝重・片桐且元・神龍院梵舜らによって準備が進められました。家康が介入したのは、豊臣家に忠誠心を持つ諸大名の信頼を得て、秀吉の功績を自らに取り込む狙いがあったと、当時の宣教師ジャン・クラッセは推測しています。
 向かって右隻には豊国神社社頭における田楽猿楽の奉納、騎馬行列が、左隻には方広寺大仏殿を背景に、上京・下京の町衆が華美ないでたちで豊国踊に熱中するさまが描かれています。

岩佐又兵衛筆
江戸時代 17世紀 重要文化財
展示期間 右隻:2021年7月17日から8月15日、左隻:8月17日から9月12日

熊毛植黒糸威具足(くまげうえくろいとおどしぐそく)

熊毛植黒糸威具足

 桐製黒漆の大きな水牛の角を象った脇立(わきだて)が兜の両側に高く突き出し、全体に熊の毛皮を貼り付け、黒糸で威した家康の具足です。現在、徳川美術館には、家康所用の具足として本品と「花色日の丸威胴丸具足」の二領が残されています。しかし、江戸時代中期以降、「花色日の丸威胴丸具足」は豊臣秀吉の具足と認識されていたため、この具足は長らく唯一の家康所用具足として別格扱いで保管されてきました。

徳川家康着用
桃山から江戸時代 16から17世紀

銀溜白糸威具足
(ぎんだみしろいとおどしぐそく)

銀溜白糸威具足

 前立ての日輪の朱と小札(こざね)の銀、威糸(おどしいと)の萌黄(もえぎ)と白が調和した華麗な具足です。銀溜とは、銀粉を膠(にかわ)で溶いて塗る技法で、本品の場合は小札の表面に塗られています。義直は多数の具足を所持していましたが、中でも特にこの具足を好み、旅行の際には必ず携帯したと伝えられています。

徳川義直(尾張家初代)所用
江戸時代 17世紀

錐形兜(きりなりかぶと)

錐形兜

 義直初陣の甲冑に附属する兜です。義直の初陣は慶長19年(1614)の大坂冬の陣で、父・家康と共に参戦しました。義直は翌20年の夏の陣にも出陣し、この兜を着けたと伝えられています。兜の後立(うしろだて)には山鳥の尾羽根がつけられています。当時、義直は15、6歳のため、一般の具足に比べて小振りに製作されています。一見すると簡素な兜にみえますが、兜の黒漆は蠟色塗(ろいろぬり)という黒漆の表面を研ぎ磨いて鏡のような光沢を出す手の込んだ技法で製作されており、天下人・家康の御曹司の初陣用ならではの具足といえます。

徳川義直(尾張家初代)所用
江戸時代 17世紀

脇指 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗
(わきざし むめい さだむね めいぶつ ものよしさだむね)

>脇指 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗

 貞宗は正宗の子または弟子と伝えられ、正宗の作風を受け継いだ名品を多く作刀しました。本品は家康の愛刀で、家康の歿後、側室で尾張家初代義直の母・お亀(相応院)は本品が義直に譲られるように力を尽くし、駿府御分物とは異なる手順で尾張家へともたらされました。

南北朝時代 14世紀
重要文化財

徳川家康三方ヶ原戦役画像
(とくがわいえやすみかたがはらせんえきがぞう)

>徳川家康三方ヶ原戦役画像

 三方ヶ原合戦での敗戦直後の姿を描いたとされてきた家康の画像ですが、史料的な根拠はありません。近年では、尾張家の蔵帳には「東照宮尊影」とあり、江戸時代から家康像として認識されていたことは確かで、目を見開いて歯を見せる忿怒の表情、片足を上げて顔を頬にあてる半跏思惟の姿から、家康を武神として祀る礼拝像であったと指摘されています。本図は尾張家九代宗睦(むねちか)の嫡子・治行(はるゆき)の正室・従姫(よりひめ)が、紀伊家から嫁いだ安永9年(1780)に尾張家へ持参した品です。

江戸時代 17世紀
展示期間:2021年7月17日から8月15日。
(8月17日からは模本)

聖像・牡丹蒔絵祠堂形厨子棚
(せいどう・ぼたんまきえしどうがたずしだな)

>聖像・牡丹蒔絵祠堂形厨子棚

 義直が名古屋城二之丸の庭園内に建てた聖堂に祀られていた儒教の聖像です。外見の模様や寸法などから五体が同時に製作されたと見られますが、帝堯(ていぎょう)像(右から2つ目)のみ純金製で、大久保長安より没収した道具であり家康より譲られたとの書付が添っています。他の四像は金銅製で、金鍍金(きんめっき)が厚く施されており、義直が帝堯像に倣って製作させたと考えられます。寛永6年(1629)、林羅山は名古屋城を訪れた際に聖堂を礼拝し、蒔絵の厨子に安置された「金像ノ堯舜禹周公孔子」を拝したと記録しており、本品がこれらに当たると考えられます。近世儒教興隆期の最初期の聖像として貴重で、義直は儒教図像の確立に大きな役割を果たしました。

江戸時代 17世紀


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