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展示案内


徳川慶勝の幕末維新徳川慶勝肖像写真 徳川林政史研究所蔵

平成30年11月3日(土曜日・祝日)から12月16日(日曜日)

企画展
徳川慶勝の幕末維新

会場
蓬左文庫展示室
尾張家14代慶勝(1824から83)は、尾張徳川家の事実上最後の殿様として激動の幕末・維新を生き抜きました。尾張藩政の舵取りを担った生涯を通じ、その知られざる決断と転換の時代を探るとともに、写真家大名とも呼ばれた慶勝が当時を捉えた多くの写真の中から、名古屋城の写真を中心に公開します。

展示の詳細案内

 尾張徳川家の分家・高須松平家に生まれた慶勝(1824から83)は、尾張徳川家14代当主となり、同家の事実上最後の殿様として激動の幕末・維新を生き抜きました。尾張藩政の舵取りを担い日本を新たな時代へと導いた生涯を通じ、その知られざる決断と転換の時代を探ります。
 また慶勝は、書画・博物学・文芸にも造詣が深く、特に西洋から渡来したばかりの写真術に着目し、数多くの写真を遺し写真家大名とも呼ばれました。その内には名古屋城の貴重な内外の写真や尾張徳川家の家族の肖像写真も含まれています。本展では、名古屋城本丸御殿全体公開を記念し、名古屋城の写真を中心に徳川林政史研究所所蔵の慶勝の写真も併せて公開いたします。

徳川慶勝肖像写真(ガラス原板) 徳川慶勝撮影(とくがわよしかつしょうぞうしゃしん(がらすげんばん) とくがわよしかつさつえい)

徳川慶勝肖像写真

慶勝は自身の写真研究も兼ねて、場所や姿勢を変えたいくつかの肖像写真を遺しています。これはその内の一枚で、慶応2年(1866)に撮影された、当時42歳の慶勝です。手に持つ「石首魚石入蠟色塗刀拵」や腰に差す同仕様の脇差拵、敷かれた絨毯が徳川美術館に現存しています。

江戸時代 慶応2年<1866> 徳川林政史研究所蔵

石首魚石入蠟色塗刀拵(いしもちいしいりろいろぬりかたなごしらえ)

石首魚石入蠟色塗刀拵

慶勝のために作られた大小拵です。石首魚はニベ科の海魚で、頭部に耳石(じせき)という大きな骨があります。拵の鞘塗には、この耳石が嵌入されており、黒地に白の斑文が鮮やかな効果を出しています。

江戸時代 安政4年<1857> 徳川慶勝所用 徳川美術館蔵

米利幹船神奈川入津之図(めりけんせんかながわにゅうしんのず)

米利幹船神奈川入津之図

嘉永6年(1853)アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーの率いる艦隊が浦賀に来航し、開国・通商を要求しました。幕府から回答の猶予を求められたペリーは一旦退去しましたが、翌年正月には軍艦7隻を率いて、神奈川沖に再度来航しました。本図はその様子を描く画巻です。神奈川沖に停泊する艦隊や、蒸気船図・使節応接場図・祝砲の図・使節の図などが描かれています。

江戸時代 19世紀 徳川美術館蔵

遠望鏡(天体望遠鏡) ギルバート社製(えんぼうきょう(てんたいぼうえんきょう))

遠望鏡(天体望遠鏡) ギルバート社製

嘉永2年(1849)に慶勝が尾張徳川家の家督を相続した祝いとして、福岡黒田家より贈られたイギリス・ギルバート社製の天体望遠鏡です。黒田家がこの天体望遠鏡を入手した経緯は不明ですが、長崎の出島を通じて手に入れたと考えられます。このような品々を通じて、慶勝は西洋の情報を手に入れていきました。

イギリス 19世紀 徳川慶勝(尾張徳川家14代)所用 徳川美術館蔵

群蟲真景図(昆虫標本・図画帖)(ぐんちゅうしんけいず(こんちゅうひょうほん・ずがちょう))

群蟲真景図(昆虫標本・図画帖)

慶勝は井伊直弼の政治姿勢を糾弾すべく江戸城へ向かいましたが、無断で登城したことを理由に逆に直弼によって謹慎処分を受けることとなりました。謹慎中の慶勝が収集したと考えられるのが本帖です。
 さまざまな昆虫の姿の写生図と昆虫を貼り込んだ虫づくしの標本帖です。前半には顕微鏡を通した昆虫の彩色図88枚、後半には昆虫標本76点を貼り付けています。幕末期に大名自身が蒐集した昆虫の標本として大変貴重です。

江戸時代 19世紀 徳川慶勝(尾張徳川家14代)収集・編 徳川林政史研究所蔵

黒塗紺糸威具足 明珍宗貞作(くろぬりこんいとおどしぐそく みょうちんむねさださく)

黒塗紺糸威具足 明珍宗貞作

謹慎を解かれた慶勝は、公武合体を図る幕府と朝廷間の仲立ちに尽力しました。両者の信任を得た慶勝は、元治元年(1864)の第一次長州征伐の征長総督(せいちょうそうとく)に任命され、広島へ赴きました。
 本具足は、慶勝がその際に着用した一領です。江戸末期に活躍した尾張明珍系の甲冑師明珍宗貞によって嘉永2年(1849)に製作されました。

江戸時代 嘉永2年<1849> 徳川慶勝着用 徳川美術館蔵

高須四兄弟(右から徳川慶勝・徳川茂栄・松平容保・松平定敬)肖像写真 二見朝隈撮影(たかすよんきょうだい(とくがわよしかつ・とくがわもちなが・まつだいらかたもり・まつだいらさだあき)しょうぞうしゃしん )

高須四兄弟(徳川慶勝・徳川茂栄・松平容保・松平定敬)肖像写真 二見朝隈撮影

戊辰戦争時に敵味方に別れた四兄弟が、維新後に再会を果たした際に撮られた記念すべき一枚です。明治11年(1878)8月の父・義建の十七回忌で再会した四人は、9月3日に銀座2丁目にあった二見朝隈写真館に出向き、揃って撮影を行いました。右より、慶勝(55歳)、茂栄(48歳)、容保(44歳)、定敬(33歳)が写ります。撮影後に慶勝の本所横網町邸で会食したこと、撮影代は四人で出し合ったことは記録に残りますが、残念ながらどのような意図でこの撮影を行ったのかは不明です。

明治11年<1878> 徳川林政史研究所蔵

名古屋城金鯱・蘇鉄の庭(ガラス原板) 徳川慶勝撮影(なごやじょうきんしゃち・そてつのにわ(がらすげんばん) とくがわよしかつさつえい)

名古屋城金鯱・蘇鉄の庭(ガラス原板) 徳川慶勝撮影

明治政府へ献上するため、天守から下ろされた際に撮影された金鯱の写真の原板です。

明治4年<1871> 徳川林政史研究所蔵 展示期間:11月3日から11月25日

名古屋城二之丸御殿・天守写真(ガラス原板) 徳川慶勝撮影(なごやじょうにのまるごてん・てんしゅしゃしん(がらすげんばん) とくがわよしかつさつえい)

名古屋城二之丸御殿・天守写真(ガラス原板) 徳川慶勝撮影

二之丸東鉄門北側の多聞櫓上より西方面を撮影した写真の原板です。手前の二之丸御殿の屋根越しに天守が写されています。左側の大屋根が奥の対面所である御広間、右側に当主の私的空間である桜之間・梅之間の屋根が見えます。天守と二之丸御殿が同時に写された唯一の写真です。

江戸時代 19世紀 徳川林政史研究所蔵 展示期間:11月27日から12月16日


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