葵紋付左義長図羽子板
2025年1月4日(土曜日)から1月26日(日曜日)
企画展
「めでたきかなお正月」
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 門松を立て、鏡餅を供え、年の初めを祝うお正月は、現在に至るまで日本人の年中行事のなかで最も大切にされた営みです。日本のお正月のさまざまな「めでたい」アイテムや、その由来を紹介しながら年の初めを寿ぎます。
展示の詳細案内
華洛四季遊戯図巻 下巻
(からくしきゆうぎずかん げかん)
正月準備の品々をかついだ人々が慌しく往来を行き交う年末の情景を描いています。町屋では、楪(ゆずりは)と裏白(うらじろ)がついた注連縄(しめなわ)を張る人、門松を立てる人と、新年を迎える準備の真っ最中です。絵は、平明で親しみやすい画風で人気を博した円山応挙(まるやまおうきょ・1733から95)、詞書は書家・歌人・古典学者として著名な高橋宗直(むねなお・1703から85)によります。
詞書 高橋宗直筆・絵 円山応挙筆
江戸時代 18世紀 重要美術品
葵紋付左義長図羽子板 2枚
(あおいもんつきさぎちょうずはごいた)
女の子の正月遊び「羽根突(はねつ)き」に用いる羽子板です。羽根突きは平安時代頃に生まれた厄払い行事がもとになったといわれ、遊びの羽根突きは、記録によれば室町時代頃に始まりました。本品の表面には貴人の家族が遊ぶ様子を、裏面には正月15日の左義長(さぎちょう)の様子が描かれています。遊戯具としての実用性よりもむしろ、贈り物や縁起物、飾り物としての性格が強いものです。左義長は門松やしめ縄などの正月飾りを焼く行事です。
江戸時代 19世紀
千代田之御表 正月元日諸侯登城御玄関前之図
(ちよだのおんおもて しょうがつがんじつしょこうとじょうおげんかんまえのず)
「千代田」と呼ばれた江戸城での、年中行事や儀礼の様子を描いた浮世絵です。本図には現実と異なるとみられる描写もありますが、登城した大名の玄関先での混雑の様子は、江戸時代の儀礼の一端をしのぶことができます。正月元日は、尾張家をはじめ御三家・御家門および譜代の大名が登城する日で、大名は将軍へ太刀目録を献上し、将軍からは盃と時服(じふく)を拝領しました。作者の楊洲周延(ようしゅうちかのぶ・1838から1912)は明治時代を代表する浮世絵師です。
楊洲周延画
明治30年<1897>
葵紋散蒔絵懸盤・椀
(あおいもんちらしまきえかけばん・わん)
大名家では、五節供をはじめとする祝いには様々な食物が用意されましたが、とりわけ元日には多種多様な祝い膳が用意されました。大名が礼式の際に用いる食膳は、本膳・二の膳・三の膳という大中小の3つの懸盤(かけばん)を一組とし、三汁七菜の料理が盛られます。盤にのせる食器には、飯椀・汁椀・吸物椀・浅物椀・手椀・坪椀・腰高・猪口・盃などがあります。いずれも晴れの日にふさわしい豪華な蒔絵が施されました。
伝紀伊徳川家伝来
江戸時代 19世紀
千代田之大奥 かるた
(ちよだのおおおく)
江戸城大奥で行われた「かるた」の様子を描いています。正月三が日の儀式の合間に、かるた遊びが楽しまれたといいます。本品は楊洲周延(1838から1912)によって回顧的に描かれた浮世絵です。
楊洲周延画
明治28から29<1895から96>
近江八景蒔絵箏
(おうみはっけいまきえそう)
新年に初めて箏を弾くのをお弾き初めと呼びます。めでたい曲を弾いて新年を祝う行事で、正月2日を例(ならい)としますが特に固定していません。箏の演奏の後は宴会を伴うこともありました。箏は中国から伝来した楽器で、平安時代以降は和歌や手習いとともに女性の教養に数えられました。側面の紫檀(したん)地に蒔絵で近江八景を表した華麗な箏です。楽器の所用者は明らかではありませんが、尾張家の女性が所持したと推される一面です。
江戸時代 19世紀
百人一首かるた
(ひゃくにんいっしゅかるた)
「かるた」はお正月の風物詩として親しまれてきた遊びです。16世紀にポルトガルからもたらされ、江戸時代に入って庶民にも浸透しました。「百人一首かるた」は、歌人百人の和歌を一人一首づつ選んで作った秀歌撰「百人一首」をもとにした「歌かるた」です。読み札の表面に歌人の画像と詠者名・和歌が記され、取り札には仮名書きで下の句だけが書かれています。撒き散らし・源平合戦・坊主めくりなど、遊び方もさまざまあります。
中村家寄贈
江戸時代 19世紀
五月十六日土水性の人うけニ入ル
(ごがくじゅうろくにちつちみずしょうのひとうけにいる)
福笑いは「おかめ」「おたふく」と呼ばれるお福面の、顔の輪郭だけを描いた紙の上に、目隠しをされた者が切り抜いた眉、目、鼻、口などを自分が思う正しい位置に並べていく遊びです。本品の福笑いの図は、幸運な年回りに入る「有卦入り(うけいり)」を祝う絵であり、「福」に通じる「ふ」の字のつく物を7つ集めて祝いました。賛の狂歌から笛・福女・不二(富士額)・筆・文箱・房・袋の7つで構成されていることがわかります。
歌川貞房画
弘化3年<1846>
七福神人形
(しちふくじんにんぎょう)
大黒天・毘沙門天・恵比寿・寿老人・福禄寿・弁財天・布袋尊の七柱の神様です。七福神を参拝すると7つの災難が除かれ、7つの幸福が授かるといいます。七福神の信仰は、室町時代末期頃に始まったとされ、当時人気の神々を集めた民間信仰として展開し、現代にまで生き続けています。
貞徳院矩姫(尾張家14代慶勝正室)所用
江戸時代 19世紀
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