「東海道五十三次之内 箱根 湖水図」
「同 庄野 白雨」
2022年4月10日(日曜日)から5月22日(日曜日)
春季特別展
「広重の旅風景 雨・雪そして人」
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
徳川美術館本館展示室 - 風景画の名手歌川広重の代表作である保永堂版「東海道五十三次之内」全55図に、各種東海道絵や各地の名所絵を加えて紹介します。卓越した脚色の技が活かされた広重の風景画をお楽しみください。
展示の詳細案内
江戸時代後期、浮世絵の風景版画が流行し、人気を博すようになりました。幕末の尾張藩主のコレクションにも、少なからず風景版画が含まれています。今回は、当時も今も多くの人に愛される風景画の名手歌川広重(うたがわひろしげ)の風景版画を紹介します。代表作で最も有名な保永堂版(ほえいどうばん)「東海道五拾三次之内」全55図に加え、行書版、隷書(れいしょ)版、竪絵(たてえ)東海道などの各種東海道絵や、広重のもうひとつの代表的街道絵である「木曽海道六拾九次之内」から作品を紹介します。また、江戸や近江などの名所絵もあわせて紹介し、広重の風景画の世界を堪能いただきます。
東海道五拾三次之内 箱根 湖水図(保永堂版)
とうかいどうごじゅうさんつぎのうち はこね こすいず(ほえいどうばん)
現代では箱根駅伝で有名ですが、箱根の険しい山道は東海道随一の難所でした。広重は、その険しさを色とりどりの岩を積み重ねてモザイクのように表現しました。その山間の峠道を、芦ノ湖越しに富士を遠望しながら大名行列の一行は進みます。
江戸時代
天保3年から4年(1832から33)頃
横大判
個人蔵
東海道五拾三次之内 庄野 白雨(保永堂版)
とうかいどうごじゅうさんつぎのうち しょうの はくう(ほえいどうばん)
「白雨」とはにわか雨のことです。風にあおられた竹藪はシルエットで表されています。その竹藪と坂道、そして雨脚の線が不安定な三角形を作り出し、雨の突然さと人々の急ぎ慌てる心理とが共鳴します。顔を隠した人々の気持ちは見る人の想像に任され、鑑賞が深まっていきます。
江戸時代
天保3年から4年(1832から33)頃
横大判
個人蔵
東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景(保永堂版)
とうかいどうごじゅうさんつぎのうち にほんばし あさのけい
(ほえいどうばん)
東海道の出発点。まだ明けやらぬ空の下、大名行列の旅の一行の姿が見えます。手前には、仕入れをすませたばかりの魚屋や八百屋の姿も見えます。時間帯としての一日の始まり、緊張感ただよう非日常の旅の始まり、魚屋たちの普段通りの日常の始まりと、三つの始まりの取り合わせが実に巧みです。
江戸時代
天保3年から4年(1832から33)頃
横大判
個人蔵
東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪(保永堂版)
とうかいどうごじゅうさんつぎのうち かんばら よるのゆき
(ほえいどうばん)
富士川を渡って駿河湾沿いの街道を行くと蒲原の宿場があります。ごく普通の街ですが、雪の夜という設定によって忘れられぬ場所となっています。人々は皆、うつむきがちに歩き、色のみならず、音までも、すべてが雪の中に消し込まれ、静かな雪の夜です。
江戸時代
天保3年から4年(1832から33)頃
横大判
個人蔵
東都名所 日本橋之白雨
とうとめいしょ にほんばしのはくう
雨の日本橋。雨粒はまばらで、「白雨」つまりにわか雨の降り始めのようです。天候の変化を絶妙に描き出した広重の感覚がここでも光ります。本図は保永堂版東海道とほぼ同時期の作で、雨を描く手腕が早くから確かなものであったことがわかります。
江戸時代
天保3年から10年(1832から39)頃
横大判
個人蔵
近江八景之内 唐崎夜雨
おうみはっけいのうち からさきやう
唐崎神社の夜の景。激しく降りしきる雨の音だけが聞こえます。大きさと美しい姿で名高い唐崎の松がシルエットで表されています。本図の含まれる「近江八景之内」は広重40歳頃の作で、広重の数ある同名の揃物でも特に評価が高い作品です。
江戸時代
天保5年(1834)
横大判
個人蔵
東海道五十三次 九 大磯(隷書版東海道)
とうかいどうごじゅうさんつぎ きゅう おおいそ
(れいしょばんとうかいどう)
画面右上の矩形に「鴫立沢西行庵(しぎたつさわさいぎょうあん)」とあります。西行法師がこの地で「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕ぐれ」と詠んだことにちなんで建てられた茶屋です。水鳥の遊ぶ海上を見る女性二人と宗匠風の男。色彩の調和が美しく、構図も決まっており、隷書版中の秀作として知られます。
江戸時代
嘉永2年(1849)
横大判
個人蔵
木曽海道六拾九次之内 宮ノ越
きそかいどうろくじゅうきゅうつぎのうち みやのこし
背景のすべてが輪郭線を持たないシルエットで描かれ、月の光の逆光さえ感じさせます。山国独特の深い霧を表したものと思われ、木々はその輪郭さえ曖昧で、靄に包まれた遠方の人影も消え入りそうです。手前の親子は徳音寺(とくおんじ)の秋祭からの帰りか、幼子は父親の背中で眠り、赤ん坊は母親に抱かれています。
江戸時代
天保7年から9年(1836から38)頃
横大判
個人蔵
五十三次名所図会 丗九 岡崎 矢はき川やはきのはし(竪絵東海道)
ごじゅうさんつぎめいしょずえ さんじゅうきゅう おかざき
やはぎがわやはきのはし(たてえとうかいどう)
矢作橋は東海道一の長さを誇り、豊橋の吉田大橋、大津の瀬田唐橋と並び、東海道三大橋といわれました。竪長画面で高さが強調され、川辺から橋の上を仰ぎ見るようにまとめ、覆い被さってくるような高さを存分に表現しています。
江戸時代
安政2年(1855)
大判
個人蔵
名所江戸百景 隅田川 水神の杜真崎
めいしょえどひゃっけい すみだがわ すいじんのもりまさき
画面を縁取るかのように描かれた満開の八重桜が印象的です。隅田川越しに筑波山までを望みます。手前の松の木のあるあたりが隅田川の水の神を祀った水神の森で、対岸が真崎です。「名所江戸百景」は 目録1枚を含む全120枚におよぶ大作で、広重最晩年の傑作です。
江戸時代
安政3年(1856)
大判
個人蔵
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