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展示案内


「徳川家康自筆書状 おかめあちゃ宛」 「徳川家康自筆書状 おかめあちゃ宛」

2023年2月4日(土曜日)から4月2日(日曜日)

企画展
「読み解き 近世の書状」

会場
蓬左文庫展示室
信長・秀吉・家康をはじめとする近世の人びとの書状を展示し、書状からうかがえるエピソードや書き手の人柄などを紹介します。

展示の詳細案内

 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康にその息子・孫の秀忠(・義直)・家光などは、歴史の授業や郷土学習で一度は名前を目にしたことがある人物たちでしょう。
ただし、教科書や物の本などで、彼らがどのような「人」であったか、あるいはお互いにどのような関係性を築いていたのかといった点を知るにはどうしても限界があります。
本展では、主にこうした近世の(愛知ゆかりの)人物をとりあげ、彼らの書状を中心に展示することで、興味深い逸話や人間関係などを紹介します。教科書だけではイメージが湧きにくい歴史上の出来事や、物の本だけでは伝わりきらない人物の人柄・心情の発露を、当時の意思伝達の主要ツールである書状の展示を通じてより身近に感じていただきます。

豊臣秀吉自筆掟書
(とよとみひでよしじひつおきてがき)

豊臣秀吉自筆掟書

 「秀吉・おねに口答えしたら・・・」
 作法・しきたり等で注意すべきことを三か条にわたり示し、禁止事項を破った場合の罰則なども記しています。おそらくは家中に宛てた掟書と推測されます。署名の「てんか」は「殿下」、つまり関白殿下・秀吉のことで、秀吉は関白就任後に度々この署名を使用しました。
 本状では具体的に、①足さすり(座ったまま移動することか)のときに居高なる姿勢をとった者は、扶持十石を没収すること、②湯殿裏への伴番を交替でつとめること、③秀吉と正室のおねに口答えしたら、一日一夜縛り付けることを掟として示しています。

桃山時代
天正13年(1585)
名古屋市秀吉清正記念館蔵

徳川家康自筆書状 おかめ・あちゃ宛
(とくがわいえやすじひつしょじょう)

徳川家康自筆書状 おかめ・あちゃ宛

 息子の快復を喜ぶ家康
 疱瘡(ほうそう)にかかった家康の九男・義直を見舞うため、家康が側室であるお亀(かめ)・阿茶(あちゃ)に宛てた自筆書状です。お亀は義直の母親であり、当時義直とともに駿府城にいました。この時期、家康は関東におり、鷹狩の途上で義直の病気について知らされ、急遽駿府へ引き返しました。その途上で義直快復の報せを受け、したためたのが本状です。義直(「さいせう」=宰相(さいしよう))の状態がよくなっていること、また症状が軽かったことはめでたく、お亀たちのうれしさをお察ししますと述べています。

江戸時代
慶長16年(1611)
徳川美術館蔵

近衛信尋書状 後水尾天皇勘返状
(このえのぶひろしょじょう ごみずのおてんのうかんべんじょう)

近衛信尋書状 後水尾天皇勘返状

 天皇直々に返事を書き込む
 江戸時代初期の公家・近衛信尋から実兄・後水尾天皇に仕える女官(にょかん)・菅式部への書状ですが、実質的には天皇へ宛てた書状です。信尋は後陽成(ごようぜい)天皇の第四皇子で、叔父・近衛信尹(のぶただ)の養嗣子(ようしし)となり、近衛家を継ぎました。書や和歌に造詣が深く、後水尾天皇とともに宮廷サロンの中心的役割を担っていました。
 本状は信尋が後水尾天皇に宛てて、来たる24日の和歌御会に詠進する「夏雲」の兼題をいかに詠みこなすべきか指南を仰ぐため、いくつかの質問を投げかける内容となっています。これに対し、天皇は細字で手紙の行間に返事を書き込み、信尋の質問に一つ一つ答えています。このような往復書簡を勘返状(かんべんじょう)といいます。歌の道に執心する二人のやりとりを一度に窺える贅沢な書状です。

江戸時代
17世紀
徳川美術館蔵

田中訥言書状 源八・文吉宛
(たなかとつげんしょじょう げんぱち・ぶんきちあて)

田中訥言書状 源八・文吉宛

 「近年の珍事、土産話に」
 江戸時代後期の画家・田中訥言が源八と文吉に宛てた書状です。前日、二人と遊郭(ゆうかく)と思しきところに遊び、両者が帰った後のエピソードを伝えています。訥言の相手をしに来た娘のともし油の匂いがきつく、残肴(ざんこう)にたかる蝿(はえ)を追い払う娘の様子がまるで犬のようで恐ろしかったったため、訥言は早々に旅宿に帰り、茶漬けを食べて寝てしまったといいます。「近年ノ珍事」で土産話になりそうだと面白がっており、訥言の茶目っ気が窺えます。絵文字が多用され、また「障子サラサラ」「茶つけさらさら」など擬態語が交じった文章が特徴的です。

江戸時代
文政元年(1818)
徳川美術館蔵

与謝蕪村絵入り書状
(よさぶそんえいりしょじょう)

与謝蕪村絵入り書状

 上客にはちゃっかりしっかり売り込みます!
 俳人・画家である与謝蕪村が、安永7年(1778)に京都を訪ねた尾張の俳諧宗匠・久村暁台(くむらきょうたい)と井上士朗らに対してしたためた書簡です。蕪村は名古屋を「文華之土地」と持ち上げ、『おくのほそ道』の絵巻をユーモラスに売り込んでいます。文末には京都の料亭で戯(たわむ)れた様子を描いて「尾張名古屋は士朗でもつ」とたたえていて、親しげな関係性も垣間見えます。

江戸時代
安永7年(1778)
名古屋市博物館蔵


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