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これまでの展示案内


国絵図

平成25年2月14日(木)から4月7日(日)
<終了しました>

ひなの世界・源氏物語の世界

会場
蓬左文庫 展示室1
雛および雛の節供にまつわる調度、書物などを紹介します。 源氏物語にまつわる絵画・書籍・工芸品など、成立以来様々な形で享受されてきた『源氏物語』の世界を紹介します。

国絵図

会場
蓬左文庫 展示室2
江戸幕府は全国を統治するため、慶長・寛永・正保・元禄・天保の5度にわたり、各国から絵図を提出させました。尾張藩に伝わった正保の尾張国絵図をはじめ、さまざまな国の絵図を紹介します。

展示の詳細案内

国絵図
江戸幕府は各地の大名や代官に命じて、領国図ではなく国絵図(一国単位の地図)の作成を何度か命じました。おもな国絵図作成命令は、慶長9年(1604)、正保元年(1644)、元禄9年(1696)、天保2年(1831)の4回です。これは幕府が全国支配を徹底するための大事業で、作成された絵図は幕府に提出されました。これらの絵図を江戸幕府撰国絵図といいます。絵図には、城、すべての村の名前と石高、街道、一里塚、湊、古城跡、大きな寺社、霊山、川などが描かれました。尾張については、慶長の国絵図は残っていませんが、正保と元禄の国絵図は写図や控図が、天保の国絵図は現物が残っています。また国絵図とともに、一国ごとに全部の村々の名前と石高を記した郷帳も、幕府に提出されました。作成を担当した大名家には、下書き図や提出した絵図と同一の控図などが残りました。国絵図はきわめて大きく、一辺3メートルから10メートルくらいと扱いづらいので、適宜記載事項を省略しサイズを小さくした国絵図が多数作成されました。さらに多くの大名は、幕府や他の大名などにつてを求めて、各国の絵図も入手しました。尾張徳川家の蔵書を所蔵する名古屋市蓬左文庫にも、日本中の絵図が残っています。その中から幾つかを紹介します。

大名と鷹狩
名古屋城下図

平成25年1月4日(金)から2月11日(月・祝)
<終了しました>

大名と鷹狩 一富士・二鷹・三茄子

会場
蓬左文庫 展示室1
鷹狩は、徳川家康が特に好んだことで知られます。鷹狩の絵画や諸道具、鷹場の絵図や記録類を紹介します。

名古屋城下図

会場
蓬左文庫 展示室2
慶長15年(1610)、徳川家康は名古屋城と城下町の建築を始め、清須の町人を名古屋に移しました。その後作成された名古屋城下町図によって、名古屋の発達の経緯をたどります。

展示の詳細案内

大名と鷹狩 一富士二鷹三茄子
鷹やハヤブサなど猛禽類を調教して、鳥や兎などの狩猟をするのが鷹狩です。西欧や中東、アジア諸国などでも古来よりおこなわれ、現在でも続いています。日本でも古くから天皇や貴族ら上層階級の趣味として発達しました。多くの戦国武将らが愛好し、徳川家康は特に好んだといいます。江戸時代には将軍・大名の庇護のもとで、高度に技術や道具が洗練され、鷹匠、鷹場などの制度も整備され、獲物や鷹の贈答も将軍ならびに大名・家臣間相互の武家儀礼として重視されました。本展では尾張徳川家に伝えられた鷹狩の諸道具をはじめ、鷹や鷹狩にまつわる絵画や記録類を紹介します。
名古屋城下図
名古屋は慶長15年(1610)、徳川家康の命により新たに作られた城下町です。開府当初の都市の骨格は、正保4年(1647)写の「名古屋城絵図(徳川美術館蔵)」に、城と郭内、碁盤割、寺町、武家地の区画として見て取れます。その後に作られた城下絵図の多くは、この骨格の上に、さまざまな街の変遷を追加してきました。例えば、万治3年(1660)の大火後の広小路、元禄13年(1700)の大火事の後の四間道、天明2年(1782)の名古屋大火の後の道路整備、天明5年(1785)年、建中寺全焼後の西側隣接武家屋敷の引き払いなどは大火を契機にした対策です。また、大曽根屋敷や新御殿の消長、大幸川の付け替えなど、為政者の意向や民政を反映した変化も各時代の城下図には記録されています。今回はこうした各時代の変化がよくわかる絵図をご覧いただきます。


平成24年11月17日(土)から12月13日(木)
<終了しました>

尾張藩の学問と教育

会場
蓬左文庫 展示室1
初代義直の学術文化振興にはじまり、九代宗睦による藩校明倫堂成立、尾張学の隆盛など、明倫堂蔵書印の寄贈を記念し、書物を中心に尾張藩の学問と教育を紹介します。

源氏物語の世界

会場
蓬左文庫 展示室2
源氏物語にまつわる絵画・書籍・工芸品など、成立以来様々な形で享受されてきた『源氏物語』の世界を紹介します。

展示の詳細案内

尾張における学術文化発展の基礎は、尾張徳川家初代義直(1600-50)によって形成されました。我が国初の聖堂の建設や、大名家随一と言われた蔵書の収集と尾張藩御文庫の創設、優れた学者の招聘と保護、彼らによる書物の編纂の主導など、幕府、大名家に先駆けた学術振興策は、歴代藩主の政策に受け継がれて、尾張における多彩な学問の発達を促すことになりました。なかでも、八代宗勝、九代宗睦の藩政改革によって、藩士教育と民衆教化を目的として誕生した藩校明倫堂は、総合的な教育と学術研究の機関となり、多彩な学術・文化の発展に大きな役割をはたしました。蓬左文庫は、昨年度、明倫堂の書籍に使用された蔵書印を御寄贈いただきました。これを記念し、歴代藩主や藩の学者の著作や遺墨、明倫堂にかかる記録や蔵書などにより、尾張藩の学問と教育を紹介します。

平成24年10月6日(土)から11月11日(日)
<終了しました>

徳川美術館新館開館25周年・徳川園80周年記念 秋季特別展
「徳川将軍の御成」

会場
蓬左文庫 展示室1・2
将軍が公式に臣下の屋敷を訪問する御成の儀式は、有力大名の重要な儀礼の一つです。尾張徳川家における御成を中心に将軍饗応に用いられた名物道具や美術品の数々を紹介します。

展示の詳細案内

御成(おなり)とは、権力者が臣下の屋敷を訪問して、主従関係を再確認する儀式です。鎌倉幕府以来、武家の重要行事として、徳川政権もまた有力大名に対する御成を行いました。徳川将軍家による御成は、二代将軍秀忠が行った元和9年(1623)の尾張徳川家江戸屋敷への御成が、一つの規範となりました。尾張徳川家では御成専用の御殿を建造し、伝来の名品を飾り付けて、将軍をはじめ随行した数千人規模の人々に対して饗応を行いました。こういった絢爛豪華な儀式は、三代将軍家光以降、順次簡略化されていき、五代将軍綱吉による御成で事実上終焉しました。その後、十一代将軍家斉により復古的に実施されますが、略式で行ったことから、「御成」ではなく「御通抜(おとおりぬけ)」と称しました。この展覧会を通じ、徳川将軍家による御成の実態と変遷を明らかにする中で、蓬左文庫展示室では、徳川将軍家以前の御成と、尾張徳川家における御成の空間を紹介します。室町将軍家によって形作られた御成の儀式や、室内の飾り付けを踏まえ、豊臣政権での変質を経て、徳川政権に引き継がれた歴史的背景や、尾張徳川家江戸屋敷の御成空間を、伝来の道具や図面などの史料を基に明らかにします。

長篠

平成24年7月25日(土)から9月30日(日)
<終了しました>

戦国の合戦

会場
蓬左文庫 展示室1・2
戦国時代、合戦の大規模化は、その様式とともに甲冑や武器にも大きな変化を及ぼしていきました。合戦での武具とともに、信長・秀吉・家康の巨大化した合戦を紹介します。

展示の詳細案内

応仁の乱(1467~77年)以降、国内での勢力争いとして展開していた合戦は、16世紀の中葉になると一国を超える合戦へと拡大していきました。そして、国内の一領主であった諸勢力は領土を拡大していき、強固な家臣団を組織したいわゆる戦国大名へと成長していったのです。領土と家臣団の拡大は、さらなる合戦の拡大を招くとともに戦闘方法や武具にも影響を及ぼします。個人戦から集団戦へと傾向を強め、長槍を駆使した戦いへと変化します。また、新たに伝来した鉄砲を如何に組織的に駆使するかが、合戦の勝敗を分けるようになっていったのです。その潮流を最も上手く掴んだのが織田信長といえるでしょう。合戦の大規模化は信長、それに続く豊臣秀吉・徳川家康の天下統一への動きとともに加速していきました。秀吉と家康とが争った小牧・長久手の戦い(1584年)や、徳川方と反徳川方で争われた関ヶ原の戦い(1600年)は、日本全土を二分する合戦として展開されました。豊臣方と徳川方で争われた大坂の陣(1614・15年)は、拡大した戦国の合戦の最期の姿といえます。 本展では、合戦の武具とともに信長・秀吉・家康の巨大化していく戦いを紹介します。
「長篠合戦図屏風」徳川美術館蔵   展示期間:7月25日(水)から9月2日(日)
「長久手合戦図屏風」徳川美術館蔵  展示期間:9月4日(火)から9月30日(日)
「関ヶ原合戦図屏風」徳川美術館蔵  展示期間:7月25日(水)から9月2日(日)

尾張徳川家大曽根邸と徳川園

平成24年6月2日(土)から7月22日(日)
<終了しました>

徳川園80周年記念特別企画
「尾張徳川家大曽根邸と徳川園」

「尾張徳川家大曽根邸と徳川園」記念講演会
講 師 : 原史彦氏(徳川美術館学芸員)
日 時 : 6月22日(金) 午後1時30分から
場 所 : 徳川園ガーデンホール
聴講料 : 無料(先着100名)

会場
蓬左文庫 展示室1・2
徳川園は明治以降に造られた尾張徳川家大曽根邸の跡地で、敷地内には邸宅ゆかりの門や蔵などが現存しています。伝えられた所蔵の美術品や歴史資料などから、これまでほとんど紹介されることがなかった大曽根邸の歴史と由緒を探ります。

展示の詳細案内

徳川園は、明治以降に尾張徳川家の名古屋本邸となった大曽根邸の跡地です。もともとは、尾張徳川家二代光友が造営した大曽根御下屋敷があった場所で、光友時代の屋敷は約13万坪の広大な規模を誇っていました。光友没後に、屋敷は尾張徳川家の重臣である成瀬家・石河家・渡辺家の屋敷となって分割されましたが、明治2年(1869)に再び尾張徳川家の所有となり、明治33年に侯爵邸として相応しい規模の邸宅が整備されました。大正年間以降、大曽根邸の役割は縮小したため、十九代義親は昭和5年(1930)に大曽根邸の敷地の大部分を名古屋市に譲渡しました。名古屋市は土地と建物の整備を行い、昭和7年に徳川園を開園して一般公開を行いました。また、義親は尾張徳川家が守り伝えてきた什宝を公開するため、昭和10年に徳川美術館を敷地内に開館させています。名古屋空襲の被害を受け、かつての侯爵邸は焼失しましたが、侯爵邸時代の建物である黒門・蔵・戦後に尾張徳川家から名古屋市へ譲られた蓬左文庫など、徳川園内には尾張徳川家ゆかりの施設が継承され、平成16年(2004)の再整備を経て、現在に至っています。
この展覧会では、御下屋敷伝来道具や屋敷図面・古写真・大曽根邸使用道具などから、これまでほとんど紹介されることがなかった大曽根御下屋敷・尾張徳川家大曽根邸の歴史と由緒を紹介します。

大曽根下屋敷図 明治3年
【大曽根下屋敷図 明治3年】

二代光友の大曽根御屋敷を引き継いだ成瀬家の下屋敷図。尾張徳川家に屋敷地を返還する際に作成された図と思われる。敷地東側(図面右)三分の一程度が現在の徳川園の敷地。かつては成瀬家屋敷部分だけでも約4万9千坪の広大な敷地であった。

「白縫譚」「今様美人」

平成24年4月14日(土)から5月27日(日)
<終了しました>

寄贈40周年・徳川園80周年記念
春季特別展
「江戸の粋-尾崎久弥コレクション-」

会場
蓬左文庫 展示室1・2
江戸文学や浮世絵の研究・収集家として、その名を知られた名古屋の国文学者である尾崎久弥のコレクションは、昭和47年に蓬左文庫に寄贈されました。寄贈後40年を記念して、絵入り版本や浮世絵などの逸品を展示し、久弥の愛した江戸の粋・奇想の世界を紹介します。

展示の詳細案内

「江戸の粋-尾崎久弥コレクション-」
尾崎久弥氏は、明治23年(1890)名古屋に生まれ、八一歳で亡くなるまで、終生名古屋を離れることなく、著述、研究活動を行った近世文学の先駆的研究者であるとともに、戯作を中心とした江戸文学の刊本、写本と浮世絵の当代随一のコレクターとしても世に知られた人物です。書籍や浮世絵など、一万六千点をこえる尾崎氏の収集資料は、没後まもなく昭和47年(1972)蓬左文庫に寄贈され、「尾崎久弥コレクション」と名付けられました。今年は、同コレクションが寄贈40周年にあたることから、その代表作品をご紹介する展覧会を開催します。尾崎氏自身、「自分は、浮世絵が専攻ではない、ただ好きというだけである。が、なぶっている江戸期稗史(小説)類とこの浮世絵とは不離の交渉にいる。」と記していますが、江戸の文芸は画文一体、戯作は、文章だけでは成立しません。浮世絵師が、挿絵を画き、華やかな錦絵で合巻の表紙を飾りました。時には絵師が戯作者をやり、戯作者が挿絵を画くこともありました。歌舞伎の人気役者は、浮世絵、戯作のスターであり、中には戯作者を兼ねるものもあらわれました。尾崎氏のコレクションは、浮世絵だけでも、戯作だけでも語れないのです。この度の展示では、洒落本、人情本、読本、合巻などの蓬左文庫が所蔵する江戸文学の書物と昭和58年に名古屋市博物館に移管された浮世絵を一堂に会し、江戸庶民文芸の宝庫「尾崎コレクション」の魅力をご紹介します。
今年度の徳川美術館・蓬左文庫の春季特別展は両館の寄贈コレクションをとりあげ、両館の共催により開催します。徳川美術館特別展示室では、江戸時代以来の名古屋の豪商岡谷家のコレクションを紹介します。昭和40年に寄贈された古筆・茶道具・近世絵画などの名品優品88件全作品を一挙公開します。


 
「源氏物語」を翻案した合巻『偽紫田舎源氏』でのちに大ベストセラー作家となった柳亭種彦の読本『近世怪談霜夜星』に葛飾北斎が画いた挿絵の一場面である。かつての恋人同士お花と伊兵衛は、伊兵衛の妻お沢をだまして自殺に追いやり、めでたく所帯を持つが、お沢の怨霊が二人を追いつめるという筋立ては、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』と同じ元禄時代に起きた実際の事件を素材としている。挿絵を画いた北斎は、文化年間(1804~18)をピークとする読本の人気を支えたとされる。その躍動感に満ちた独自の幻想的表現や想像力は、読本の世界で遺憾なく発揮された。とくに妖怪画の描写は圧巻である。襲いかかるお沢の怨霊に立ち向かう伊兵衛、一方、怨霊が見えず伊兵衛を止めようとするお花という怪奇的な場面が、北斎独自の構図や空間表現によって画かれ、読者は、物語の世界に引き込まれる。本書は、また丹表紙に鳥居清経風の題箋が残る初版本である。挿絵には、重ね刷りによる墨の濃淡だけで表現された鬼気迫る怨霊の世界が鮮やかに残る。
尾崎コレクションの名品といえる逸品である。

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休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は開館し、その直後の平日を休館します。)
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