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これまでの展示案内


武大夫物語絵巻(部分) 武大夫物語絵巻(部分)

2020年7月18日(土曜日)から9月13日(日曜日)
<終了しました>

企画展
怪々奇々-鬼・妖怪・化け物…-

会場
蓬左文庫展示室
古典文学に記された怪奇現象や、描かれた幽霊や鬼・妖怪などの世界をご紹介します。

展示の詳細案内

 死後の世界、寝静まった後の夜の時間、暗い闇の向こう側、普段立ち入らない場所や、他人の心のなか。見えない領域にひそむ恐怖は、一般に鬼や幽霊・妖怪とよばれる異形の者たちに置き換えられてきました。かれらは、物語として読み聞かせられては驚かせ怖がらせ、絵画として描かれればユニークな姿で人々の目を楽しませもしてきました。
本展では、古典文学に記された怪奇現象から、幽霊や鬼、妖怪といった、異形の者たちの世界をご紹介します。

徒然草絵巻(つれづれぐさえまき) 十二巻の内 巻三

徒然草絵巻(つれづれぐさえまき)

 鎌倉時代の応長年間(1311から12)に、京に現れた鬼を見ようと人々が方々に出かけ、しまいには喧嘩がおきた、という話を描いた場面です。当時、数日間続く病に苦しむ人が増え、鬼はその前触れだったのではないかと言う人もいた、と締めくくられています。

江戸時代 17から18世紀 徳川美術館所蔵
(展示期間:7月18日(土曜日)から8月18日(火曜日)

大江山絵巻 (酒呑童子絵巻) 三巻の内 中巻
おおえやまえまき(しゅてんどうじえまき)

大江山絵巻 (酒呑童子絵巻) 三巻の内 中巻おおえやまえまき(しゅてんどうじえまき)

 大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を源頼光(よりみつ)・渡辺綱(つな)らが退治する物語です。中世には、政権に従わない人々が鬼に見立てられていたともされ、『酒呑童子』の鬼のイメージには、山賊などの姿が重ねられていたとも言われます。

江戸時代 17世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)

日高川草紙絵巻(ひだかがわぞうしえまき) 模本

日高川草紙絵巻 模本

 三井寺の僧・賢学は、出雲明神の託宜(たくせん)で、自分と遠江国橋本(現・静岡県浜松市)の長者の娘が、前世の因縁から結ばれると知り、修行の妨げになることを怖れ、幼い娘を刺して逃げます。一命をとりとめた娘は成長し、清水寺(京都市東山区)に参籠していたところ、賢学と会い契りを結んでしまいます。賢学は以前に自分が殺そうとした娘であることを知り、娘を捨てて熊野参詣に向かいます。娘は紀伊国(和歌山県)の日高川を渡り後を追い、しだいに蛇身に姿を変え、捕えた賢学を水底に引きずり込みます。

江戸時代 18から19世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)

百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき) 模本 二巻の内 上巻

百鬼夜行絵巻 模本 二巻の内 上巻

 古器物から変化したつくも神のような妖怪や鬼が大量に描かれた絵巻です。大徳寺真珠庵(京都市北区)所蔵の作品が、室町時代に遡る最古本として著名で、本品はその写し(模本)です。さまざまな姿の妖怪たちが行進する有様は、不気味でありながらも躍動感があり、妖怪たちの表情も楽しげです。最後は、巨大な火の玉が現れ、妖怪たちが逃げていく姿で終わります。

江戸時代 18から19世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)

青窓記聞(せいそうきぶん)水野正信(みずのまさのぶ)編
二百四冊の内 巻二八

窓記聞(せいそうきぶん) 水野正信(みずのまさのぶ)編

 『青窓紀聞』は、尾張藩大道寺家の用人・水野正信による当時の様々な出来事の記録です。水野は、天保14年(1843)、肥後国天草郡(現・熊本県天草市)に光りをまとって現れ夜な夜な猿の声で人を呼んだ妖怪が、「我は海中に住む、あま彦と申すものなり。今年から6年間、豊作になるが、国々で病が多発して、人間は六割が死んでしまう。けれども我の姿を書き見る者は無病長寿となる。このことを早く諸国に伝えよ。」と言って姿を消したらしいと記しています。
 最近話題となった「アマビエ」は弘化3年(1846)頃に登場したため、アマビコが写し間違えられて誕生したとも言われています。

江戸時代 19世紀 名古屋市蓬左文庫所蔵

武太夫物語絵巻(ぶだゆうものがたりえまき) 三巻の内 下巻

武太夫物語絵巻(ぶだゆうものがたりえまき)

 寛延2年(1749)7月、備後国三次(みよし)(現・広島県三次市)の16歳の少年、生稲(いけいね)平太郎(へいたろう)(武太夫[ぶだゆう])は、ある日、友人と肝試しに百物語をします。その後、一ヶ月にわたってさまざまな妖怪が現れるものの、平太郎はまったく動じず、しまいには魔王にその勇気を讃(たた)えられたという物語です。本品の他にも絵本・絵巻など数多くの作例が遺されています。

江戸時代 19世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)


刺繡阿弥陀三尊来迎図(部分) 刺繡阿弥陀三尊来迎図 重要文化財

2020年6月6日(土曜日)から7月12日(日曜日)
<終了しました>

企画展
祈りのこころ-尾張徳川家の仏教美術-

会場
蓬左文庫展示室
信仰の拠りどころであった尾張徳川家伝来の華麗な経典・仏像・仏画や、供養のために寺院に奉納され、墓所へ埋葬された個人の遺愛品など、大名家の人々が仏教に寄せた思いを紐解きます。

展示の詳細案内

 尾張徳川家は将軍家と同じ浄土宗を重んじ、菩提寺として浄土宗の建中寺を建立し、歴代当主や家族の墓所も建中寺に造営されました。一方、個人の信仰は様々であったため、現在徳川美術館が所蔵する尾張徳川家伝来の仏教にかかわる品々については、幅広い様相を呈しています。信仰の拠りどころであった華麗な経典・仏像・仏画に、供養のために寺院に奉納され、墓所へ埋葬された個人の遺愛品を加え、大名家の人々が仏教に寄せた思いを紐解きます。

法華経 普門品(ほけきょう ふもんぼん)(部分)

法華経 普門品(ほけきょう ふもんぼん)

 平安時代、貴族社会に深く根付いた『法華経』は、写経の功徳を積極的に説くことから、故人の追善供養や、自己の作善(さぜん)を目的として盛んに書写されました。本品も『法華経』のうち、第二十五品「普門品(観音経)」を書した一巻です。表紙・見返(みかえし)・経の天地に至るまで装飾がこらされ、金截金(きんきりかね)による界罫線を引き、まろやかな和様の書体で書写されています。平安貴族の美意識が投影された優品です。

平安時代 12世紀 重要文化財

刺繡阿弥陀三尊来迎図(ししゅうあみださんぞんらいごうず)(部分)

刺繡阿弥陀三尊来迎図(ししゅうあみださんぞんらいごうず)

 観音(かんのん)菩薩・勢至(せいし)菩薩を先導に、雲に乗った阿弥陀如来が往生者のもとへ飛来する場面を表します。各所に配された梵字(ぼんじ)は種字(しゅじ)と呼ばれ、仏尊を象徴的に示しています。本紙・表装とも多彩な色糸と人毛による刺繡で表されています。高度な技法を駆使して色のぼかしや線の躍動感を表現しており、刺繡による来迎図の中でも屈指の名品です。

鎌倉時代 14世紀 重要文化財
(展示期間:6月6日から6月21日)

善光寺式阿弥陀三尊像(ぜんこうじしきあみださんぞんぞう)(部分)

善光寺式阿弥陀三尊像(ぜんこうじしきあみださんぞんぞう)

 善光寺(長野市)の本尊で秘仏である阿弥陀三尊像は、天竺(インド)において月蓋長者(がっかいちょうじゃ)の前に現れた阿弥陀如来の姿を鋳出して写した「生身仏(しょうじんぶつ)」と伝わり、かつインドから朝鮮半島を経て日本へもたらされた最初の仏という縁起とともに、鎌倉時代以降、篤く信仰されました。
 全国に彫刻による多数の模像が伝存するなか、本品は数少ない絵画による遺例です。尊像の頭髪を人毛の刺繡で表していることから、故人の追善を目的に製作された可能性が考えられます。

室町時代 15から16世紀
(展示期間:6月23日から7月12日)

釈迦三尊像 (黒漆厨子入)(しゃかさんそんぞう)

釈迦三尊像 (黒漆厨子入)(しゃかさんそんぞう)

 釈迦如来は、仏教の開祖であり、紀元前5世紀ごろにインドで活躍したゴータマ・シッダルタのことです。開祖として宗派を問わず信仰され、その遺骨である舎利(しゃり)も尊重されています。
 本品は寛保元年(1741)、八代宗勝(むねかつ)が国家安穏のため、日蓮曼荼羅(十界曼荼羅)・『法華経』八帖(展示番号10)とともに名古屋城天守に納めた釈迦三尊像とみなされています。

江戸時代 18世紀

阿弥陀三尊像(黒漆厨子入)(あみださんそんぞう)

阿弥陀三尊像(黒漆厨子入)(あみださんそんぞう)

 阿弥陀如来は西方極楽浄土の主です。臨終のとき極楽浄土へ生まれ変わり(往生)、仏の教えを聞いて悟りを開くこと(成仏)を説く浄土思想は、古くから宗派を超えて篤く信仰されました。
 本品は来迎印(らいごういん)を結ぶ阿弥陀如来に、往生者を浄土へ運ぶための蓮台を捧げる観音菩薩、合掌する勢至菩薩を合わせた三尊像です。厨子には金銅やガラス玉を用いた華鬘(けまん)や幡(ばん)などで装飾が施されており、美しく荘厳された仏の世界を目の当たりにすることができます。

室町時代 16世紀

八幡大菩薩像(はちまんだいぼさつぞう)

八幡大菩薩像(はちまんだいぼさつぞう)

 尾張徳川家の江戸市ヶ谷上屋敷の中にあった八幡宮の御神体で、御神体の前に垂らす帳(とばり)が附属しています。八幡神は古くから仏教を守護する「八幡大菩薩」として信仰されたほか、武家の守護神としても奉じられ、源氏を称する尾張家でも氏神として尊崇されました。

鎌倉時代 14世紀 重要美術品

初音蒔絵櫛箱(はつねまきえくしばこ)

初音蒔絵櫛箱(はつねまきえくしばこ)

 寛永16年(1639)9月22日、三代将軍家光の娘・千代姫(ちよひめ)が尾張徳川家二代光友に婚嫁する際に持参した「初音の調度」の一つです。櫛を納める箱で、歯の粗密の異なる三ツ櫛一組のほか、壺櫛払二点、象牙櫛払一点、眉作筆柄四点、芯差二点、鋏一点が附属しています。
 元禄11年(1698)12月10日、江戸・市ヶ谷上屋敷で千代姫が亡くなると、遺体は将軍家の菩提寺・増上寺(東京都台東区)に葬られ、建中寺には光友により霊仙院(れいせんいん)殿霊廟が建立されました。千代姫の道具類は名古屋に送られ、本品は建中寺宝蔵へ納められました。

千代姫(霊仙院、尾張家2代光友正室)所用 建中寺宝蔵奉納
江戸時代 寛永16年(1639)

葵紋付黄金造飾太刀拵(あおいもんつきこがねづくりかざりたちごしらえ)

葵紋付黄金造飾太刀拵(あおいもんつきこがねづくりかざりたちごしらえ)

 昭和27年(1952)、太平洋戦争後の復興計画の一環として名古屋市街地の墓所整理計画の中で、建中寺墓所も整理されました。その際、二代光友の墓所(瑞龍院殿墓所)からは、遺体と共に副葬された拵が発掘されました。昭和43年に鞘・紐・柄などを新しく補って復元したのが本品です。大名が使用する儀仗用の太刀拵としては最も正式な形式で、精緻な彫刻を施した金・銀の金具を多用し、各所に色彩の鮮やかな宝石を散りばめています。

昭和43年(1968) 徳川光友(瑞龍院、尾張家2代)所用
建中寺瑞龍院殿墓所発掘復元品


東照大権現像 伝狩野探幽筆(部分) 東照大権現像 伝狩野探幽筆(部分)

2020年4月12日(日曜日)から5月31日(日曜日)

春季特別展
家康から義直へ-尾張藩誕生物語-

会場
蓬左文庫展示室 徳川美術館本館展示室
天下統一を果たした徳川家康と、泰平の世に尾張国統治を任された家康の息子義直。本展では、義直へと受け継がれた治世方針に焦点をあてながら、二人の生涯、そして義直の家康への思いを、遺品や史料などから読み解きます。

新型コロナウイルス感染症対策のため、中止となりました。

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