平成26年2月14日(金曜日)から4月6日(日曜日)
<終了しました>
ひなの世界
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1
- 雛および雛の節供にまつわる調度、書物などを紹介します。
大名家の礼法-小笠原家伝書-
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室2
- 故実礼法を家職として代々尾張藩に仕えた朝岡家に伝来した文書、書籍から小笠原流の伝書を中心に紹介します。
展示の詳細案内
- ひなの世界
- 三月三日の桃の節供にちなみ、毎年徳川美術館の本館展示室で開催される「尾張徳川家の雛まつり」にあわせて、蓬左文庫の展示室でもお雛様を展示します。享保雛や古今雛など、江戸時代から昭和に至るまでの町屋に伝えられた様々なお人形を紹介します。大名家・尾張徳川家に伝えられた豪華で格式のある雛とは趣きがことなり、素朴ななかに身近で親しみを感じさせてくれる“桃の節供”の世界をお楽しみ下さい。
志村家から徳川美術館に御寄贈いただいた御殿雛飾り一式を展示します。志村家は、江戸時代から近年まで京都市内で造り酒屋を営んできた旧家です。男雛・女雛は、京人形の老舗・丸平大木人形店の雛人形で、箱には明治23年(1890)の商標が貼られています。御殿は畳一畳からはみ出すほどの大きさで、細部にもこだわった本格的な作りとなっています。
- 大名家の礼法-小笠原家伝書-
- 朝岡(あさおか)家は尾張徳川家の婚礼、元服などの御用係を務め、故実礼法を家職として代々尾張藩に仕えた家です。九代藩主宗睦(1732から99)は、朝岡家五代国輔に対し、幕府の礼法小笠原流を学ぶよう命じました。安永9年(1780)、国輔は嫡子国雄を伴って、江戸の小笠原平兵衛家に入門し、以来代々の当主と嫡子は、江戸の小笠原家に学び、小笠原流の伝書を書写して持ち帰ったのです。昭和43年、朝岡家の御子孫から同家に伝来した文書や書籍500点余が蓬左文庫に寄贈されました。今回は、朝岡家に伝来した小笠原流の伝書を中心に武家の礼法の一端を紹介します。
平成26年1月4日(土曜日)から2月11日(火曜日・祝日)
<終了しました>
旅をつづる
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1
- 公務や放浪、巡礼など、旅の動機はさまざまですが、異郷を巡り目に触れた風景や風俗に対する感動や喜びなどを、人々は文章や詩歌のかたちに残しました。旅にまつわる文芸作品を紹介します。
名所図会の世界
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室2
- 江戸時代後期、名所旧跡への関心の高まりとともに全国各地で作成された絵入り地誌「名所図会」を紹介します。
展示の詳細案内
- 旅をつづる
- 情報が少なく交通手段が未発達だった時代から、日本人は、旅のありさまを文字に書き残してきました。公務や放浪、巡礼など、旅の動機はさまざまですが、人々は異郷を巡り目に触れた珍しい風景や風俗を、文章や詩歌のかたちに残して伝えました。とりわけ領国と江戸を往復する参勤交代が重要な公務であった江戸時代の大名にとって、旅は身近な存在でした。紀行文や旅日記など、旅の様子を伝える文芸作品を中心に紹介します。
- 名所図会の世界
- 江戸時代の尾張の景観を知ろうとするとき、必ず参照されるのが『尾張名所図会』という本です。野口道直、小田切春江ら尾張の文人が総力を挙げてまとめたこの本は、正確な鳥瞰図と詳しい解説によって、尾張の名所を余すところ無く描いています。『尾張名所図会』のような「名所図会」と呼ばれるタイプの本は、安永9年(1780)刊行の『都名所図会』に始まり、一九世紀を通じて流行しました。「名所」を描いた挿絵(図)を集め(会)、そこに解説を加えたものが「名所図会」の基本パターンです。「名所図会」は江戸時代後期の旅ブームを背景に、各地で次々と刊行されました。この展示では、蓬左文庫の所蔵する各地の「名所図会」によって、およそ二〇〇年前の景観をたどるとともに、『尾張名所図会』編さんに関わる資料を紹介し、「名所図会」編さんの裏側を探ります。
平成25年11月9日(土曜日)から12月13日(金曜日)
<終了しました>
源氏物語の世界
カラー版『尾州家河内本源氏物語』完成記念講演会
『尾州河内本源氏物語』について-その成立と本文改訂の実態-
日時:11月30日(日曜日) 午後2時から
場所:徳川美術館講堂
聴講料:無料(※徳川美術館の入館料必要)
定員:150名
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1・2
- 源氏物語にまつわる絵画・書籍・工芸品など、成立以来様々な形で享受されてきた『源氏物語』の世界を紹介します。
展示の詳細案内
千年前、十一世紀初頭に成立した『源氏物語』は、現在に至るまで愛読されつづけている「古典の中の古典」であり、日本文学史上最高の傑作と賞賛される恋愛長編小説です。文学に限らず、絵画・工芸・音楽・演劇など様々な分野に影響を与え、多くの芸術作品がうまれています。紫式部が書いた原本は早くに失われましたが、『源氏物語』は多くの写本が製作され、現在に伝えられています。写本には、藤原定家が校訂した「青表紙本(あおびょうしぼん)」の系統と、源光行・親行親子が校訂した「河内本(かわちぼん)」の系統があります。蓬左文庫には「尾州家本」と呼ばれ「河内本」系統の中でも最も重要とされてきた『源氏物語』が伝来しています。本年12月、この尾張徳川家伝来の「河内本源氏物語」の全巻カラー影印版刊行が完成いたします。これを記念して、重要文化財「河内本源氏物語」の全巻を一堂に会し公開します。
重要文化財 河内本源氏物語 全23冊 鎌倉時代 正嘉2年(1258)北条実時奥書
本書は、巻ごとに筆者が異なる寄合書(よりあいがき)で、十数人の名筆家の手になる写本である。
平成25年9月28日(土曜日)から11月4日(月曜日・休日)
<終了しました>
秋季特別展
歌仙-王朝歌人への憧れ-
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1・2
- 古来すぐれた歌人36人が選ばれ、歌仙絵などさまざまな絵姿で表されてきました。中世から近世にかけて描かれた歌仙絵などにより、王朝歌人への憧憬の歴史を紹介します。
展示の詳細案内
- 秋季特別展 歌仙-王朝歌人への憧れ-
- 「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」と『古今和歌集』仮名序にあるように、和歌を詠むことは、日本人にとって自らの心を伝え、人との間をつなぐ重要な行為でした。必須の教養とされ、公私にわたり和歌を詠むことが求められるなかで、古来のすぐれた歌詠みは尊崇の対象となり、「歌仙」と呼ばれました。柿本人麿や紀貫之をはじめとする歌仙は、『古今和歌集』仮名序に取り上げられた六歌仙、藤原公任の『三十六人撰』にもとづく三十六歌仙など様々な取り合わせで親しまれました。歌仙を和歌・略伝とともに絵姿であらわした「歌仙絵」は、『三十六人撰』の人気とともに平安時代末期よりはじまり、鎌倉時代には「似絵(にせえ)」の流行のなかで開花しました。後世の人々が抱いた王朝歌人への憧憬の中で、歌仙絵はやまと絵の主要な画題となり、室町時代以降、絵巻や屏風・扁額など、種々の形態で描き継がれていきました。十七世紀には、古典復興の気運の中で武家や上層町衆へと受容層を拡げ、歌仙絵は一層、多様化していきました。
蓬左文庫展示室では、十七世紀の古典復興に焦点を当てます。『三十六人家集』に代表される三十六歌仙にまつわる歌書や、当時の絵師たちによる、中世の歌仙絵からの学習をうかがえる作品などから、古典享受の様相をご覧いただきます。また、十七世紀以降に豊かな多様性を見せた歌仙絵の展開を象徴する作品もご紹介いたします。
平成25年7月27日(土曜日)から9月23日(月曜日・祝日)
<終了しました>
歿後130年記念 夏季特別展
徳川慶勝
-知られざる写真家大名の生涯-
記念講演会「幕末の写真と徳川慶勝」
講師:高橋則英氏(日本大学芸術学部写真学科教授)
日時:8月11日(日曜日) 午後1時30分から3時
場所:徳川美術館講堂
聴講料:無料(※徳川美術館の入館料必要)
当日先着120名
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1・2
- 幕末・維新期の尾張藩主徳川慶勝は、西洋から渡来したばかりの写真術を学びました。慶勝の政治家としての活躍や、彼が撮影した写真や文芸作品などを紹介します。
展示の詳細案内
- 歿後130年記念 夏季特別展 徳川慶勝 -知られざる写真家大名の生涯-
- 徳川慶勝(1824から83)は、幕末・維新の混乱期に尾張徳川家の舵取りを担った事実上最後の殿様です。慶勝は、尾張徳川家の分家・高須松平家に生まれ、徳川将軍家からの養子当主が四代続いた尾張徳川家にとっては待望の分家出身者として十四代当主に迎えられました。将軍継嗣問題や開港問題にも深く関与して、安政の大獄で失脚したものの、井伊直弼暗殺後に復権し、政局を左右する重要な場面で指導力を発揮しました。慶勝は、書画・博物学・文芸などにも造詣が深く、特に西洋から渡来した写真術を独自に研究して、数多くの貴重な写真を遺しました。この中にはこれまで紹介されたことのない江戸(東京)・名古屋などの風景写真も数多く含まれています。今年は慶勝の歿後130年にあたり、政治家であると同時に、文化人としても多彩な才能を発揮した慶勝の素顔と業績を紹介します。
平成25年6月1日(土曜日)から7月21日(日曜日)
<終了しました>
尾張名古屋の絵師たち
-高雅・清を中心に-
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1
- 藩主の命を受け「名古屋東照宮祭礼図巻」を描いた
森高雅(1791から1864)、復古大和絵派の絵師・渡辺清(1778から1861)など、尾張を拠点に活躍した絵師に焦点をあて、彼らが描き出した尾張名古屋の活気を今に伝えます。
尾張のまつり
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室2
- 名古屋城下最大のまつりであった家康を祀る東照宮の祭礼や、津島を中心に尾張各地で行われる天王祭など、江戸時代の尾張のまつりを紹介します。
展示の詳細案内
- 尾張名古屋の絵師たち-高雅・清を中心に-
- 「尾張名古屋は城でもつ」と謳われた城下町・名古屋。江戸時代、東海随一の都市として発展し、そのにぎわいは名古屋を活動拠点とした絵師たちによって描き出されてきました。尾張のにぎわいを描いた絵師の代表格が、やまと絵系絵師の森高雅(1791から1864)と渡辺清(1778から1861)です。高雅は、名古屋の繁栄を象徴する「名古屋東照宮祭礼」を尾張徳川家十代斉朝の命を受けて描いたほか、「尾張名所図屏風」や伊藤圭介をはじめ名古屋で活躍した人々の肖像画などを残しました。復古大和絵派の絵師・清は、典雅な故事人物図を展開する一方で、茶道松尾流の五代不俊斎の肖像画なども手がけ、名古屋の絵師たる矜持を示しました。
本展では、尾張名古屋を拠点に活躍した絵師に焦点をあて、彼らが描き出した尾張名古屋の活況を今に紹介します。また、名古屋東照宮祭礼図としては、現存最古の描写内容を誇る「名古屋東照宮祭礼図屏風」(展示期間:6月1日から6月23日)を特別公開します。これまで最も製作が早いと考えられていた名古屋東照宮祭礼図は18世紀後半の『張州雑志』で、100年近くも時代を遡る描写内容は新発見です。
- 尾張のまつり
- 江戸時代の尾張地方では、名古屋城下や近郊の寺社を中心に様々なまつりが行われました。なかでも、家康を祀る名古屋東照宮の祭礼や、津島天王社をはじめ各地で行われた天王まつりは、からくり人形を載せた山車が出るなどたいへん壮麗なものでした。この展示では、徳川園山車揃え(6月2日)にも登場する「神皇車」のからくり人形や、『張州雑志』をはじめとする諸本・諸記録から、東照宮祭礼と天王まつりを中心に、近世尾張の華やかなまつりを紹介します。
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毎年6月第一土曜・日曜日に行われる筒井町天王祭は、神皇車と湯取車の二輛の山車が曳き出されます。このうち神皇車は、江戸時代には名古屋城三之丸にあった亀尾天王社の祭礼に出された山車で、神功皇后、武内宿禰、面被り巫女、采振唐子の四体のからくり人形が乗ります。なかでも面被り巫女が一瞬にして龍神に変身するからくりは最大の見せ場といえます。現在の神皇車には江戸時代に作られた人形ではなく複製が乗っていますが、今回の展示では江戸時代に作られたからくり人形の内、面被り巫女と神功皇后の二体を出品します。精巧な作りのからくり人形を間近でご覧いただくことができる、またとない機会となっております。
平成25年4月13日(土曜日)から5月26日(日曜日)
<終了しました>
名古屋城・下御深井御庭
-殿さまの秘園-
- ■会場
- 蓬左文庫 展示室1・2
- 名古屋城の北に広がった下御深井(したおふけ)御庭は、創建当初は秘密の脱出口、江戸時代後期には大名庭園として整備されました。御庭での園芸・陶芸・茶の湯などを紹介します。
展示の詳細案内
- 名古屋城・下御深井御庭-殿さまの秘園-
- 下御深井御庭は、名古屋城の北部・現在の名城公園一帯に存在した大庭園です。幕末時点では名古屋城の内部に匹敵する約13万坪の広大な面積を誇り、自然地形を活かした南部の大池泉を中心に、茶屋や御庭焼の窯、架空の町屋やお抱えの農民が耕作する田畑が設けられたほか、初期には薬草園・御花畑・御犬部屋・御鷹匠部屋なども置かれました。名古屋城北部の防衛空間であると同時に、尾張徳川家当主の私的な遊興空間・儀礼空間であったため、立ち入りは制限され、当時、一般には知られることのない「秘園」でした。この展覧会では、初めて下御深井御庭の実態を明らかにし、庭内で焼かれた御庭焼の名品の数々を紹介します。
- **下御深井御庭の姿**
- 下御深井御庭は、三代将軍家光が上洛する際、名古屋城に立ち寄った寛永11年(1634)頃に完成しました。当初は低湿地だった場所に、築城の残土を利用し自然景観を残して造成した庭園で、南側を松林として、城への見通しを意図的に遮る設計が成されていました。しかし、尾張徳川家十代斉朝による大改造で、松林は取り払われ広大な池泉が設けられました。この時の改造で北部には田園風景を模して田畑を造り、池の周囲には茶屋を配して自然の風光を楽しむ池泉回遊式の大庭園になりました。
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