張州雑志巻72 津島天王祭図
2021年2月6日(土曜日)から4月4日(日曜日)
<終了しました>
企画展
尾張の百科事典-御秘本『張州雑志』-
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 尾張藩で「御秘本」として扱われた地誌『張州雑志』。本展では、主に本書に描かれた宝物・動植物・風俗等の色鮮やかな記録画を展示し、江戸時代の尾張の世界を紹介します。
展示の詳細案内
江戸の尾張藩邸で「御秘本」として収められていた書物に『張州雑志』という地誌があります。同書は尾張藩士・内藤東甫(正参)(1727から1788)によって18世紀後半に編纂され、東甫の歿後、未完の状態にあったものを同藩士・赤林信定が100冊に装丁し、藩に献上しました。尾張の情報が細密に記録されていたことにより「御秘本」扱いになったと考えられています。
『張州雑志』は単なる地誌にとどまらず、史料叢書や博物図譜といった側面も持ち合わせており、ゆえに尾張の百科事典ともいえましょう。とりわけ、東甫による色彩豊かな挿絵は同書の最大の特色で、読者に豊かなイメージを抱かせ、また江戸時代の尾張の姿を如実に伝えます。同書に描かれた絵図を現存する資料と照らし合わせてみると、東甫の挿絵がいかに正確な描写となっているかに驚くことでしょう。
本展覧会では、この『張州雑志』を一挙に公開し、本書に描かれた動植物・風俗・歴史資料の記録画を主に展示し、色鮮やかな江戸時代の尾張世界をお楽しみいただきます。
『張州雑志』巻十三 ビシャ(びしゃ)
『張州雑志』巻一から十九は知多郡の記録となっています。海岸周辺の景観図や漁業関係の様子を描いたものなど、海に囲まれた知多郡特有の自然環境が挿絵として多く記録されている点が特徴です。また、知多郡に見られた魚類・海産物や鳥類なども数多く描かれています。
本図は巻十三で描かれている「ビシャ」です。三河方面ではミサゴのことをビシャと呼んだといいます。
『張州雑志』巻二十 東照宮祭礼 林和靖車(とうしょうぐうさいれい りんなせいしゃ)
名古屋城下については、『張州雑志』巻二十から二十三の四巻分に記録されていますが、内容は名古屋東照宮の東照宮祭礼の行列図のみです。東照宮祭は、元和4年(1618 )4月17日の家康の三回忌に、家康の九男で尾張藩の祖・徳川義直が祭礼を行ったのを嚆矢とし、旧暦4月16・17日に毎年行われました。『張州雑志』に描かれた行列図は、17日に行われた神輿の渡御の様子で、行列は壮観を呈しています。
本図は巻二十に掲載された「東照宮祭礼 林和靖車」です。伝馬町より出された山車で北宋の詩人・林和靖をモチーフにしています。
『張州雑志』巻二十五 熱田湊之図(あつたみなとのず)
『張州雑志』巻二十四から五十八の三十五巻分は熱田(名古屋市)の記録となっています。熱田神宮をはじめ歴史ある土地だけに、寺社の行事や宝物の記録画、あるいは古文献の筆写等が詳しいです。
本図は東海道で唯一の海路「七里の渡し」の玄関口であった熱田湊の様子です。左側に、寛永11年(1634)、江戸幕府3代将軍・徳川家光が上洛の帰途宿泊した東浜御殿が見えます。
『張州雑志』巻七十二 津島天王祭(つしまてんのうさい)
海東郡については、津島村(津島市)・甚目寺村(あま市)・明眼院(大治町)の記録が計十巻分に収録されています。
本図は、巻七十二に掲載された「津島天王祭」で、旧暦6月に行われた津島天王祭・宵祭の様子が描かれています。津島五か村(筏場・今市場・下構・塘下・米之座)より出される五輌の車楽(だんじり)が楽を奏しながら天王川を渡っています。
『張州雑志』巻九十五 東門ノ瀧(ひがしもんのたき)
『張州雑志』巻八十八から百は、春日井郡についての記録となっています。瀬戸の窯業をはじめ、現在の瀬戸市一帯の記録が詳しく、また動植物・鉱物等の絵図が多く描かれている点が特徴です。
本図は巻九十五に掲載された、水野川下流域(瀬戸市)にある「東門ノ瀧」の様子です。
『張州雑志』巻九十八 ホウノ木ノ実(ほうのきのみ)
『張州雑志』巻八十八から百は、春日井郡についての記録で、本図は巻九十八に掲載された「ホウノ木(ホオノキ)ノ実」の図です。
墨竹図風炉先屏風 狩野常信筆(部分)
2021年1月5日(火曜日)から1月31日(日曜日)
<終了しました>
企画展
竹-日本の美-
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 日本人にとって最も身近な植物の一つである「竹」にまつわる様々な作品から、竹とともに育まれた日本の美意識を探ります。
展示の詳細案内
四季を通じて青緑を保ち真っ直ぐに育つ竹は、清らかさや繁栄の象徴と考えられてきました。特に中国では、寒中でも緑を保つ松や寒中に花を咲かす梅とともに、高潔さの象徴である「歳寒三友」の一つとして愛されました。日本では、榊などとともに神事で用いられる一方で、竹取物語などの文学作品にも登場しました。また高い強度と柔軟性をあわせ持ち、環境によって色・姿を変える竹は、古くから現代にいたるまで、生活のなかで様々な工芸品に用いられています。竹は日本人にとって最も身近な植物の一つと言えるでしょう。竹にまつわる様々な作品から、竹とともに育まれた日本の美意識を探ります。
松・竹に鶴図(まつ・たけにつるず)二幅対のうち
右幅には松を背景に天に向かって啼く鶴(丹頂(たんちょう))が、左幅には竹の群生する水辺に舞い降りた鶴が描かれています。松と竹に、千年の長寿を保つとされた鶴のつがいを組み合わせた、とてもおめでたい画面となっています。
江戸時代 18世紀
竹取物語図(たけとりものがたりず)田中訥言筆
竹取の翁(おきな)が輝く竹の中に見つけた三寸(9㎝)ほどのかわいらしい女の子は、老夫婦のもとで育てられました。初めは籠に入れられるほどでしたが、すくすくと大きく育った、という様子が描かれています。
江戸時代 19世紀 個人蔵
墨竹図(ぼくちくず) 二幅対の内 右幅
風になびき揺れる竹が、太湖石(たいこせき)と呼ばれる岩とともに描かれており、葉擦れの澄んだ音が聞こえてくるようです。凛とした空間からは、筆者の高潔な佇まいすらも浮かび上がってきます。
明時代 15-16世紀
志野竹の子文筒茶碗 歌銘 玉川
(しのたけのこもんつつちゃわん かめい たまがわ)
志野焼独特の柔らかい釉薬の中に、筍(たけのこ)が幻想的に浮かび上がった茶碗です。現代の食卓に並ぶ筍は、一般的に孟宗竹(モウソウチク)です。しかし、孟宗竹は江戸時代中期に日本に渡ってきたと言われるため、本品に描かれた筍は、淡竹(ハチク)か真竹(マダケ)の筍と考えられます。
桃山時代 16-17世紀
小堀権十郎箱書 関戸家伝来 岡谷家寄贈
竹茶杓 虫喰(たけちゃしゃく むしくい) 伝千利休作
千利休の作として伝えられた茶杓です。茶杓の中節の下方と切止(きりどめ)に空いた穴が、虫食穴(むしくいあな)として見立てられ、後世「虫喰」と呼ばれました。実際には、穴は竹が傷み朽ちてできた穴であり、全体に歪んだ形態は真竹(マダケ)に突然変異的にできた歪みと考えられます。茶の湯の文化では、このような傷みや変形のある竹に、魅力が見出されてきました。
桃山時代 16世紀
墨竹図風炉先屏風(ぼくちくずふろさきびょうぶ) 二曲一隻 狩野常信筆
水辺に群生する淡竹(ハチク)と太湖石が描かれています。しばしば茶席で、水指や風炉釜の後ろに立てて用いられたようで、飛沫(ひまつ)を受けた跡が見られます。窓は鉄刀木(たがやさん)で枠を設け、黒褐色の稈(かん)が特徴である黒竹(クロチク)を差し込んだ、凝った意匠となっています。
江戸時代 17-18世紀
源氏物語絵巻 桐壺(部分) 個人蔵
2020年11月8日(日曜日)から12月13日(日曜日)
<終了しました>
企画展
読み継がれた源氏物語
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 紫式部が著した『源氏物語』は、千年にわたり読み継がれてきた古典の名作です。五島美術館所蔵の国宝「紫式部日記絵巻」を特別公開し、日本が世界に誇る『源氏物語』の文化史をたどりながら、その魅力を紐解きます。
展示の詳細案内
紫式部によって著された『源氏物語』は、現代に至るまで千年にわたり読み継がれてきた古典の名作です。著者不明の物語が多いなか、著者が判明する点でも特筆すべき物語です。とりわけ江戸時代には出版文化の盛行に伴い、上流階級のみならず幅広い読者層を獲得し、『源氏物語』ブームというべき潮流が生まれました。注釈書やダイジェスト的な梗概書が刊行され、屏風や絵巻物、冊子などさまざまに絵画化され、茶の湯や能、香道など日本の文化にも大きな影響を及ぼしました。五島美術館所蔵の国宝「紫式部日記絵巻」を特別公開し、日本が世界に誇る『源氏物語』の文化史をたどりつつ、その魅力を紐解きます。
紫式部集切 伝藤原定家筆
(むらさきしきぶしゅうぎれ でんふじわらのさだいえひつ)
紫式部は、晩年に自詠の和歌を撰び、私家集『紫式部集』を遺しました。少女時代に始まり、夫・藤原宣孝(のぶたか)との恋愛や死別、また宮仕え時代など、ほぼ全生涯にわたる和歌が厳選して収められています。本品は、藤原定家(さだいえ)(1162から1241)筆と伝えられる最古写本の断簡です。
鎌倉時代 個人蔵
源氏物語 河内本 二十三冊の内(げんじものがたり かわちぼん)
全帖が散逸せずに残った最古の『源氏物語』です。「河内本」の名は、校訂者である源光行(みつゆき)(1163から1244)・親行(ちかゆき)(生歿年未詳)が、父子ともに河内守に任じられたことに由来します。北条実時(さねとき)(1224から76)の奥書から、長らく実時が親行の河内本を借りて書写させたと考えられてきましたが、近年では光行らが校訂に用いた原稿本である可能性が高いと指摘されています。
鎌倉時代 正嘉2年(1258)
名古屋市蓬左文庫蔵 重要文化財
源氏物語 三条西家本(青表紙本系) 五十四冊の内
(げんじものがたり さんじょうにしけぼん(あおびょうしぼんけい))
室町時代を代表する『源氏物語』研究の第一人者・三条西実隆(さねたか)(1455から1537)が奥書を記した青表紙本系の写本です。「夢浮橋」の帖末に、天文2年6月、実隆の孫・実枝(さねき)(1511から79)が男女を総動員して書写を完成させたとあります。本書は本寿院下総の蔵書で、『源氏物語』が女性の教養本としても尊重されたことがわかります。
室町時代 天文2年(1533)
本寿院下総
(尾張家3代綱誠側室・4代吉通生母)所用
名古屋市蓬左文庫蔵
源氏物語絵巻 橋姫 十五巻の内一巻
(げんじものがたりえまき はしひめ)
国宝「源氏物語絵巻」は、12世紀前半に白河院・鳥羽院を中心とする宮廷サロンで製作されたとみられる、現存最古の源氏絵です。絵は「作り絵」という当時の描法で、「引目鉤鼻(ひきめかぎはな)」、「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」の手法などにより、物語の抒情性や登場人物の心理の動きまでもがみごとに描き出されています。昭和7年(1932)に巻子装から額面装とされた徳川美術館所蔵分は、平成28年(2016)から5年にわたり保存上の観点から本来の巻子装に戻されました。今回改装後、初公開します。
平安時代 国宝
展示期間:2020年11月26日から12月13日
源氏物語画帖 絵 土佐光則筆
(げんじものがたりがじょう え とさみつのりひつ)
土佐光則(みつのり)(1583から1638)の代表作で、小さな画面に驚くほど精緻で密度の高い『源氏物語』の世界が展開されています。当時南蛮貿易によってもたらされた天眼鏡(拡大鏡)を用いて描いたといわれます。
詞書は、近衛(このえ)尚嗣(ひさつぐ)はじめ60人の堂上寄合書(よりあいがき)で、大名や公家といった上層階級の婚礼調度本の一つとして誂えられたとみられます。
江戸時代
合貝 三百七十五個の内(あわせがい)
合貝は、貝合わせの遊びに用いられる貝で、蛤(はまぐり)の貝殻が使われます。二枚貝の蛤は、元の対でしか重なり合わないことから夫婦和合の象徴とされ、これを収納する貝桶とともに婚礼調度の筆頭として誂えられました。合貝の内側は、二枚ともに同じ図様とする約束で、花鳥・草花のほか『源氏物語』の様々な場面が好んで描かれました。この合貝では、絵が胡粉(ごふん)盛り上げに金箔を押し、濃彩で描かれており、婚礼調度にふさわしい豪華さを備えています。
江戸時代
初音蒔絵十二手箱(はつねまきえじゅうにてばこ)
初音の調度の名は、『源氏物語』第二十三帖「初音」の「年月を松にひかれてふる人に今日鶯の初音きかせよ」の歌意を全体の意匠とし、その歌の文字を葦手(あしで)書きに散らすところに由来します。
三代将軍家光の娘・千代姫(1636から98)が寛永16年、尾張家二代光友(みつとも)に嫁いだ際に持参した婚礼調度の一つで、幸阿弥家(こうあみけ)十代の長重(ちょうじゅう)が製作にあたりました。十二手箱は、化粧道具を収納する手箱の一種で、中に計12合の小箱を納めるためにこの名があります。
江戸時代 寛永16年(1639)
霊仙院千代姫(尾張家2代光友正室)所用 国宝
香木 銘 紅葉賀 六十一種名香の内
香木 銘 花散里 六十一種名香の内
(こうぼく めい もみじのが・はなちるさと)
香木を炷(た)き、その香りを楽しむ「聞香(もんこう)」が、香道として確立していくなかで、優れた沈香(じんこう)に雅銘がつけられるようになりました。六十一種名香は、十一種名香と五十種名香で構成され、中には『源氏物語』の帖名から取った「紅葉賀」や「花散里」など七つの銘を数えることができます。
東南アジア
偐紫田舎源氏 柳亭種彦著 歌川国貞画 十九冊の内
(にせむらさきいなかげんじ)
柳亭種彦(りゅうていたねひこ)(1783から1842)が『源氏物語』を翻案した長編作品です。着想の面白さに加え、歌川国貞(くにさだ)(のち三代豊国 1786から1864)の挿絵が人気を博し、14年にわたり刊行されました。
「偐紫」とは偽(にせ)の紫式部の作という意味で、室町時代の御所を舞台としています。足利義正と花桐(はなぎり)の遺児・光氏(みつうじ)(モデルは桐壺帝・桐壺更衣・光源氏)が、女性たちと奔放な恋愛を繰り広げるとみせて、密かに将軍家の宝物の行方をたずねます。
江戸時代
文政12から天保13年<1829から42>
名古屋市蓬左文庫蔵
八星メダイヨン文絨毯 銅版画〈野生動物・鳥・魚の狩猟(ストラートの原画による)〉
2020年9月20日(日曜日)から11月3日(火曜日・祝日)
<終了しました>
秋季特別展
殿さまが好んだヨーロッパ
-異国へのまなざし-
- ■会場
- 蓬左文庫展示室 徳川美術館本館展示室
- 御三家筆頭の尾張徳川家に伝来した日本と西欧との関係を示す品々は、国内でも珍しい貴重な作品を数多く含んでいる重要なコレクションです。本展は、この尾張徳川家コレクションを、他家伝来品等と併せて一堂に紹介します。
展示の詳細案内
近世東アジアに進出したヨーロッパ商人が、中国や東南アジアを中継して日本へ舶載した商品・贈答品を、日本では介在したヨーロッパ人に応じて「南蛮」・「阿蘭陀」とよび、異国の文化を伝える新しい文物として取り入れました。
御三家筆頭である尾張徳川家に伝来した日欧貿易関係品には、国内に類する作品が殆どない貴重な作品も含まれており、特殊な舶載品入手ルートが推察できる重要なコレクションです。
本展覧会は、尾張徳川家に伝来した日欧関係品を、他家伝来品や関連する作品・資料と併せて紹介します。
新刊輿地全図(しんかんよちぜんず)(部分)
1857年にオランダで刊行された航海用世界地図「世界全図」を原図として、幕府の役人であった佐藤政養(まさやす)が翻訳・加筆し、発行しました。標題の中央に「日の丸」の旗が描かれ、さらに日本が赤く塗られており、今日、日本で発行される地図の原点を見出すことができます。尾張藩蘭学塾「洋学館」の旧蔵書です。
江戸時代 文久元年(1860)
阿蘭陀人殺生図(おらんだじんせっしょうず)四巻のうち
(原題「Venationes Ferarum,Avium, Piscium」)
アントワープ(ベルギー)で16世紀に製作された全104枚の狩猟図シリーズ。ヨーロッパのみならず、さまざまな猟場での現実または空想上の動物の狩猟風景が描かれています。国内では尾張徳川家にのみ伝来が確認されている貴重な銅版画です。
ヤン・ファン・デル・ストラート画
アントワープ、フランドル 初版1596年
遠望鏡(天体望遠鏡)ギルバート社製
えんぼうきょう(てんたいぼうえんきょう)
嘉永2年(1849)、福岡藩黒田家より尾張家14代慶勝へ、家督相続の祝いとして贈られた天体望遠鏡です。
ロンドンの「W. Gilbert & Sons」社製です。箱書には「カヒ(ピ)タン所持」とあり、オランダ商館長(カピタン)が所持していた本品を黒田家が入手し、慶勝へ贈ったようです。
イギリス 19世紀
徳川慶勝(尾張家14代)所用
白地花卉文更紗(一番更紗)
しろじかきもんさらさ(いちばんさらさ)
江戸時代中期頃までに舶載されたいわゆる「古渡り更紗」です。「一番更紗」として伝わりました。
当時の最上級品であるこうした質の良い古渡り更紗は珍重され、茶道具用の裂や掛物の表装などに用いられました。本品にも模様に心を配りながらも、無駄な端切れを出さないように慎重に切り取った跡が残っています。
インド 17世紀
(展示期間:9月20日(日曜日)から10月11日(日曜日))
赤羅紗地桐に鳳凰文火事頭巾(あからしゃじきりにほうおうもんかじずきん)
ヨーロッパの毛織物である羅紗(らしゃ)を用いた火事頭巾です。生地を文様通りに切り抜き、図様をはめ込む「切嵌」の手法を用いています。派手好みとされる尾張徳川家7代の宗春らしい頭巾です。
江戸時代 19世紀
(羅紗:ヨーロッパ 17から18世紀)
徳川宗春(尾張家7代)着用
(展示期間:10月13日(火曜日)から11月3日(火曜日・祝日)
金唐革鏡覆 ハンス・ル・メール工房(きんからかわかがみおおい)
金唐革は、ヨーロッパでは主に壁装材として用いられましたが、日本では煙草入れや箱、小物などに使用されました。本品はオランダ・アムステルダムの有名な金唐革工房・ハンス・ル・メール(1629から77)製を示す「HLM」のモノグラムもプレスされており、日本に残るもっとも古い金唐革のひとつとして知られています。
オランダ 17世紀
霊仙院千代姫(尾張家2代光友正室)所用
八星メダイヨン文絨毯(はっせいめだいよんもんじゅうたん)
インドのデカン高原産と考えられている絨毯です。中央部分に八星(星形)を象るメダイヨンが配された意匠で、17世紀オランダ絵画に描かれていながら長らく実物が見つからなかった絨毯です。その後、京都・祇園祭の「北観音山(きたかんのんやま)」「函谷鉾(かんこぼこ)」を飾る絨毯も本品と同種であることが確認されています。
インド 18世紀
風鳥(極楽鳥剥製)
ふうちょう(ごくらくちょうはくせい)
風鳥はゴクラクチョウとも呼ばれる鳥で、オーストラリアからニューギニア付近に生息しています。
ヨーロッパには翼と脚を切り落とした状態で剥製となって運ばれたので、風に乗って飛び一生地上に降りない天国の鳥と認識されていました。日本には江戸時代にオランダ人によって持ち込まれました。
東南アジア 18から19世紀
阿蘭陀焼印花人物文手付水指(おらんだやきいんかじんぶつもんてつきみずさし)
本品は尾張家では水指として伝来していますが、元々はいわゆるビア・マグ(ビールジョッキ)です。
ドイツのライン川周辺地域で16世紀末期から17世紀にかけて製作された輸出用高級品で、オランダ本国でも限られた富裕層しか所有できない品でした。オランダ商館の記録ではこうした高級なドイツ製のやきものは将軍家・幕府高官への贈り物として特別に用意されていたことが知られています。
ドイツ 17世紀
武大夫物語絵巻(部分)
2020年7月18日(土曜日)から9月13日(日曜日)
<終了しました>
企画展
怪々奇々-鬼・妖怪・化け物…-
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 古典文学に記された怪奇現象や、描かれた幽霊や鬼・妖怪などの世界をご紹介します。
展示の詳細案内
死後の世界、寝静まった後の夜の時間、暗い闇の向こう側、普段立ち入らない場所や、他人の心のなか。見えない領域にひそむ恐怖は、一般に鬼や幽霊・妖怪とよばれる異形の者たちに置き換えられてきました。かれらは、物語として読み聞かせられては驚かせ怖がらせ、絵画として描かれればユニークな姿で人々の目を楽しませもしてきました。
本展では、古典文学に記された怪奇現象から、幽霊や鬼、妖怪といった、異形の者たちの世界をご紹介します。
徒然草絵巻(つれづれぐさえまき) 十二巻の内 巻三
鎌倉時代の応長年間(1311から12)に、京に現れた鬼を見ようと人々が方々に出かけ、しまいには喧嘩がおきた、という話を描いた場面です。当時、数日間続く病に苦しむ人が増え、鬼はその前触れだったのではないかと言う人もいた、と締めくくられています。
江戸時代 17から18世紀 徳川美術館所蔵
(展示期間:7月18日(土曜日)から8月18日(火曜日)
大江山絵巻 (酒呑童子絵巻) 三巻の内 中巻
おおえやまえまき(しゅてんどうじえまき)
大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)を源頼光(よりみつ)・渡辺綱(つな)らが退治する物語です。中世には、政権に従わない人々が鬼に見立てられていたともされ、『酒呑童子』の鬼のイメージには、山賊などの姿が重ねられていたとも言われます。
江戸時代 17世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)
日高川草紙絵巻(ひだかがわぞうしえまき) 模本
三井寺の僧・賢学は、出雲明神の託宜(たくせん)で、自分と遠江国橋本(現・静岡県浜松市)の長者の娘が、前世の因縁から結ばれると知り、修行の妨げになることを怖れ、幼い娘を刺して逃げます。一命をとりとめた娘は成長し、清水寺(京都市東山区)に参籠していたところ、賢学と会い契りを結んでしまいます。賢学は以前に自分が殺そうとした娘であることを知り、娘を捨てて熊野参詣に向かいます。娘は紀伊国(和歌山県)の日高川を渡り後を追い、しだいに蛇身に姿を変え、捕えた賢学を水底に引きずり込みます。
江戸時代 18から19世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)
百鬼夜行絵巻(ひゃっきやぎょうえまき) 模本 二巻の内 上巻
古器物から変化したつくも神のような妖怪や鬼が大量に描かれた絵巻です。大徳寺真珠庵(京都市北区)所蔵の作品が、室町時代に遡る最古本として著名で、本品はその写し(模本)です。さまざまな姿の妖怪たちが行進する有様は、不気味でありながらも躍動感があり、妖怪たちの表情も楽しげです。最後は、巨大な火の玉が現れ、妖怪たちが逃げていく姿で終わります。
江戸時代 18から19世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)
青窓記聞(せいそうきぶん)水野正信(みずのまさのぶ)編
二百四冊の内 巻二八
『青窓紀聞』は、尾張藩大道寺家の用人・水野正信による当時の様々な出来事の記録です。水野は、天保14年(1843)、肥後国天草郡(現・熊本県天草市)に光りをまとって現れ夜な夜な猿の声で人を呼んだ妖怪が、「我は海中に住む、あま彦と申すものなり。今年から6年間、豊作になるが、国々で病が多発して、人間は六割が死んでしまう。けれども我の姿を書き見る者は無病長寿となる。このことを早く諸国に伝えよ。」と言って姿を消したらしいと記しています。
最近話題となった「アマビエ」は弘化3年(1846)頃に登場したため、アマビコが写し間違えられて誕生したとも言われています。
江戸時代 19世紀 名古屋市蓬左文庫所蔵
武太夫物語絵巻(ぶだゆうものがたりえまき) 三巻の内 下巻
寛延2年(1749)7月、備後国三次(みよし)(現・広島県三次市)の16歳の少年、生稲(いけいね)平太郎(へいたろう)(武太夫[ぶだゆう])は、ある日、友人と肝試しに百物語をします。その後、一ヶ月にわたってさまざまな妖怪が現れるものの、平太郎はまったく動じず、しまいには魔王にその勇気を讃(たた)えられたという物語です。本品の他にも絵本・絵巻など数多くの作例が遺されています。
江戸時代 19世紀 徳川美術館所蔵
(巻き替えあり)
刺繡阿弥陀三尊来迎図 重要文化財
2020年6月6日(土曜日)から7月12日(日曜日)
<終了しました>
企画展
祈りのこころ-尾張徳川家の仏教美術-
- ■会場
- 蓬左文庫展示室
- 信仰の拠りどころであった尾張徳川家伝来の華麗な経典・仏像・仏画や、供養のために寺院に奉納され、墓所へ埋葬された個人の遺愛品など、大名家の人々が仏教に寄せた思いを紐解きます。
展示の詳細案内
尾張徳川家は将軍家と同じ浄土宗を重んじ、菩提寺として浄土宗の建中寺を建立し、歴代当主や家族の墓所も建中寺に造営されました。一方、個人の信仰は様々であったため、現在徳川美術館が所蔵する尾張徳川家伝来の仏教にかかわる品々については、幅広い様相を呈しています。信仰の拠りどころであった華麗な経典・仏像・仏画に、供養のために寺院に奉納され、墓所へ埋葬された個人の遺愛品を加え、大名家の人々が仏教に寄せた思いを紐解きます。
法華経 普門品(ほけきょう ふもんぼん)(部分)
平安時代、貴族社会に深く根付いた『法華経』は、写経の功徳を積極的に説くことから、故人の追善供養や、自己の作善(さぜん)を目的として盛んに書写されました。本品も『法華経』のうち、第二十五品「普門品(観音経)」を書した一巻です。表紙・見返(みかえし)・経の天地に至るまで装飾がこらされ、金截金(きんきりかね)による界罫線を引き、まろやかな和様の書体で書写されています。平安貴族の美意識が投影された優品です。
平安時代 12世紀 重要文化財
刺繡阿弥陀三尊来迎図(ししゅうあみださんぞんらいごうず)(部分)
観音(かんのん)菩薩・勢至(せいし)菩薩を先導に、雲に乗った阿弥陀如来が往生者のもとへ飛来する場面を表します。各所に配された梵字(ぼんじ)は種字(しゅじ)と呼ばれ、仏尊を象徴的に示しています。本紙・表装とも多彩な色糸と人毛による刺繡で表されています。高度な技法を駆使して色のぼかしや線の躍動感を表現しており、刺繡による来迎図の中でも屈指の名品です。
鎌倉時代 14世紀 重要文化財
(展示期間:6月6日から6月21日)
善光寺式阿弥陀三尊像(ぜんこうじしきあみださんぞんぞう)(部分)
善光寺(長野市)の本尊で秘仏である阿弥陀三尊像は、天竺(インド)において月蓋長者(がっかいちょうじゃ)の前に現れた阿弥陀如来の姿を鋳出して写した「生身仏(しょうじんぶつ)」と伝わり、かつインドから朝鮮半島を経て日本へもたらされた最初の仏という縁起とともに、鎌倉時代以降、篤く信仰されました。
全国に彫刻による多数の模像が伝存するなか、本品は数少ない絵画による遺例です。尊像の頭髪を人毛の刺繡で表していることから、故人の追善を目的に製作された可能性が考えられます。
室町時代 15から16世紀
(展示期間:6月23日から7月12日)
釈迦三尊像 (黒漆厨子入)(しゃかさんそんぞう)
釈迦如来は、仏教の開祖であり、紀元前5世紀ごろにインドで活躍したゴータマ・シッダルタのことです。開祖として宗派を問わず信仰され、その遺骨である舎利(しゃり)も尊重されています。
本品は寛保元年(1741)、八代宗勝(むねかつ)が国家安穏のため、日蓮曼荼羅(十界曼荼羅)・『法華経』八帖(展示番号10)とともに名古屋城天守に納めた釈迦三尊像とみなされています。
江戸時代 18世紀
阿弥陀三尊像(黒漆厨子入)(あみださんそんぞう)
阿弥陀如来は西方極楽浄土の主です。臨終のとき極楽浄土へ生まれ変わり(往生)、仏の教えを聞いて悟りを開くこと(成仏)を説く浄土思想は、古くから宗派を超えて篤く信仰されました。
本品は来迎印(らいごういん)を結ぶ阿弥陀如来に、往生者を浄土へ運ぶための蓮台を捧げる観音菩薩、合掌する勢至菩薩を合わせた三尊像です。厨子には金銅やガラス玉を用いた華鬘(けまん)や幡(ばん)などで装飾が施されており、美しく荘厳された仏の世界を目の当たりにすることができます。
室町時代 16世紀
八幡大菩薩像(はちまんだいぼさつぞう)
尾張徳川家の江戸市ヶ谷上屋敷の中にあった八幡宮の御神体で、御神体の前に垂らす帳(とばり)が附属しています。八幡神は古くから仏教を守護する「八幡大菩薩」として信仰されたほか、武家の守護神としても奉じられ、源氏を称する尾張家でも氏神として尊崇されました。
鎌倉時代 14世紀 重要美術品
初音蒔絵櫛箱(はつねまきえくしばこ)
寛永16年(1639)9月22日、三代将軍家光の娘・千代姫(ちよひめ)が尾張徳川家二代光友に婚嫁する際に持参した「初音の調度」の一つです。櫛を納める箱で、歯の粗密の異なる三ツ櫛一組のほか、壺櫛払二点、象牙櫛払一点、眉作筆柄四点、芯差二点、鋏一点が附属しています。
元禄11年(1698)12月10日、江戸・市ヶ谷上屋敷で千代姫が亡くなると、遺体は将軍家の菩提寺・増上寺(東京都台東区)に葬られ、建中寺には光友により霊仙院(れいせんいん)殿霊廟が建立されました。千代姫の道具類は名古屋に送られ、本品は建中寺宝蔵へ納められました。
千代姫(霊仙院、尾張家2代光友正室)所用 建中寺宝蔵奉納
江戸時代 寛永16年(1639)
葵紋付黄金造飾太刀拵(あおいもんつきこがねづくりかざりたちごしらえ)
昭和27年(1952)、太平洋戦争後の復興計画の一環として名古屋市街地の墓所整理計画の中で、建中寺墓所も整理されました。その際、二代光友の墓所(瑞龍院殿墓所)からは、遺体と共に副葬された拵が発掘されました。昭和43年に鞘・紐・柄などを新しく補って復元したのが本品です。大名が使用する儀仗用の太刀拵としては最も正式な形式で、精緻な彫刻を施した金・銀の金具を多用し、各所に色彩の鮮やかな宝石を散りばめています。
昭和43年(1968) 徳川光友(瑞龍院、尾張家2代)所用
建中寺瑞龍院殿墓所発掘復元品
東照大権現像 伝狩野探幽筆(部分)
2020年4月12日(日曜日)から5月31日(日曜日)
春季特別展
家康から義直へ-尾張藩誕生物語-
- ■会場
- 蓬左文庫展示室 徳川美術館本館展示室
- 天下統一を果たした徳川家康と、泰平の世に尾張国統治を任された家康の息子義直。本展では、義直へと受け継がれた治世方針に焦点をあてながら、二人の生涯、そして義直の家康への思いを、遺品や史料などから読み解きます。
新型コロナウイルス感染症対策のため、中止となりました。
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